南信の記憶・おやつ編

幼い時分を南信州で過ごしました。学生の頃に一度都市部へと離れ、就職して再び地元に。そうしてこけつまろびつ暮らすうち、折に触れて懐かしい味にいきあうことがあります。お盆お彼岸それにお葬式などには、スーパーで購入したり各家庭で揚げた天ぷら饅頭を食べるのが通例です。揚げた饅頭といえば珍しくもないでしょうが、ここで言うものは盛大に衣をつけているので、本当に天ぷらなのです。福島県会津や東京浅草などでも似た食文化があるようですね。以前気になって調べてみたところ、会津には江戸時代の藩主が文化を持ち込んだのが始まりらしいと知りました。
天ぷら饅頭はあまり甘くなく、うどんやパンや餅を何の味もつけず白いまま食べるのが好きだったわたしには美味しく感じられました。食べない!(食べなさい!)とにこにこお菓子を勧めてくるお年寄りが何人も寄り合って住んでいた、だだっ広い平家。内緒話のように、これは素食の国の味だと教わりました。チョコレートもアイスクリームもなくてごめんねえ、最近の子は舌が肥えているかもしれんけえど、と喉の細っこいお婆さんは言ったものです。
もしかしたら天ぷら饅頭にアイスクリームを合わせたら魅惑のスイーツになるかもしれません。わたしのなかではどうしても、お茶と一緒にもしゃもしゃと食べるものと相場が決まっていて、たとえ美味しくても何かが違うと感じることでしょう。
平時のおみやげには赤飯饅頭かおやきを。おやきは箱買いすると、何種類かの中身のうち野沢菜のものが必ずあります。これが保存食ゆえか妙に塩辛い。飯田では林檎の形をした白餡の饅頭もありました。果物を使用したおやつもまた、甘さ控えめで素朴なものが多い印象。いろんな種類の甘味がありますが、古いお家に買い置きしてあるお菓子というのは全体的にみずみずしさやジューシーさとはちょっと縁遠いものです。確実に緑茶を大量に飲むことを前提としています。イギリスのアフタヌーンティーみたいですね。

下伊那の夏は暑いけれども、どこか小高い丘の上のような爽やかさがあります。実際に今からお話する家の在所はそんな場所にありました。そうした気候の下で喉を滑ってゆくお茶やお酒の美味いこと。当時七つか八つのわたしはお酒の味を知るよしもありませんでしたが、なにせうわばみの多い地域です。あれは美味いに違いないと睨んだとおり、今では少なくなった酒屋さんに地酒を求め足を運ぶ日々。

お酒といえば、ちょっと変わった友人のことをお話しましょう。ほたるという名前の持ち主で、話の流れでお察しかと思いますが彼女も大変なお酒好きです。蛍なのに蟒蛇なんですよ、本人もよくそう言って笑います。友人といいましたが、彼女とわたしは遠縁の身内の間柄。
曽祖母には子どもが十二人もいて、若くして亡くなった三人と独り身を貫いた二人を除き、全員に二人以上の子どもがいるという大所帯でした。それで、わたしたちの世代になるとお互いに誰々の子だと聞いても自分との関係性がさっと頭に浮かばず、歳を重ねれば他人行儀も相まって家族というよりかは友人の関係に近くなったのでした。仏事はもちろん、なにかとあるたびお互いの家を訪問する風習があり、きょうだいの多い親世代までが割とそれに忠実であったこと、加えて大学時代は同じ北名古屋市で過ごしたことから、いまでも彼女とわたしは数ヶ月に一度連絡を取り合う仲なのです。

さて、時を遡ります。お盆のころで、わたしたちは共に小学五、六年生くらいだったでしょうか。到着するとまず一家の長たる曽祖母に挨拶に行きました。何歳になっただの学校はどうだの、紋切り型のやりとりが堅苦しいのは最初だけ。座敷で飲み食いやお喋りが始まってしまえばあとは全員気ままなもの。夕飯まですることは特にありません。
かといってずっと座敷に留まっておれば、暇を持て余した大人たちの恰好の餌食です。お年頃だのなんだのからかわれるのもいやだし、いきなりお説教が始まってはたまったものではありません。もちろん為になる有難いお話は敬意を持ってだまってよく聴きます。しかし、それとこれとはぜんぜん種類が違うお説教であることは子どもは全員理解しています。大人がただ「なんか暇だなあ」という顔をして無意味に偉ぶりたくなった私欲を満たすため、子どもに接待を求めるということをです。しかも一人がお叱りを受ければ巻き込まれるかもしれず、子どもたちは幼いなりに頃合いを見計らって、個別にその場を離れ、庭で遊んだり台所でつまみ食いをしたり、ひとときの愉快な時間を過ごしたのでした。
食卓にも顔を見せる、おやつなんだかおかずなんだか分からない天ぷら饅頭。夕食の片付けを手分けして行なっていた時のことです。気が利く子はお風呂の準備を始めており、板張りの床に立つと、廊下の先の風呂場から清潔なお湯の匂いが漂ってきます。夏になるとやたらと打ち上がる花火の音も止み、不気味な静けさに鳥肌が立ちました。わたしは長い廊下の先の暗闇がどうも苦手で、縁側で手酌をする伯父さんの側に座りました。すると、なぜか「おお芳佳いいとこに来た」と言います。

例の“ほたる”が何か品のある布にくるまれた細長いものを手にやってきて、伯父さんに見せました。うんうん頷いて「聴かせとくれ」と伯父さん。ほたるは居座っているわたしをジトリと見て、少ししてからその場に座しました。
彼女は大事そうに包みから笛を取り出します。本物の竹でできた篠笛でした。右手の小指と親指、同じく左手指を支点として、七つの指孔の位置を確認します。曲はまず「下伊那の歌 その一」を。続けて練習中だという「信濃の国」を聴かせてくれました。笛用にアレンジしたもののようです。南信ではこの二曲が流れると必ず居合わせた者が誰ともなく歌い出すのです。原曲よりもゆったりとした速さの篠笛の音色が、ざわめく木々や家中の雑音と心地よく交わり、わたしはしばし時間を忘れていました。聴けば、伯父さんに初めて買ってもらった篠笛で、練習の成果を聴かせる約束だったのだそうです。
わたしはとびきりの拍手を送りました。気がつくと親族たちがわらわら集っていて、ほたるの腕前を称賛しました。彼女は照れるでもなく、つゆきりを通しながら終始ぶっきらぼうに振る舞っていました。

「まだぜんぜんやら。指がグラグラして音が上ずってきやがるに」
「なんの、上等上等。始めのうちは皆なかなか高音が出んもんだでなあほい」

彼女はもともと、ちょっと低血圧でつっけんどんな物言いをする子なのです。さっきから破顔しているわたしを、またもほたるは重量のある眼差しで見とめます。何が気になったのか「芳佳、ちいとこっちおいないよ」と低い声で誘いかけたのでした。こういうところが一見他人から怖がられる点なのですが、わたしはそんな彼女の態度に惹かれているのでした。内心ドキドキしながらついてゆくと、さながら修学旅行のように積み重なったリュックサックのなかから自分のを引っ張り出して、分厚いノートを見せてくれました。手書きの楽譜で、先ほどの県歌もあれば、まったく知らない楽曲もあります。庭で遊ばずひとり静かに書きものをしていたのはこういうわけだったのかと得心しました。

「興味あるら?」

わたしはそれまでほたるが笛を吹くことを知らずにいたけれど、ほたるは知っていたようでした。わたしが密かに横笛に憧れていたことを。

話がすっかり長くなりましたね。では、つい先日のことを語って締めましょう。ほたるが地元に帰ってくるというので、駅で待ち合わせました。
彼女は金沢や郡上といった特色ある街を巡り、最近は都市部においても音楽活動を続けています。京都あるいは名古屋の影響を色濃く受けたここ南信でも、彼女の奏でる祭囃子は風土によく馴染みました。民謡などの和の音楽と洋楽器の組み合わせに興味を持つようになったのは、彼女の友人・羽島くんとともに徹夜踊りに参加した時からのようでした。伝統芸能に現代的で畑違いの音楽を取り入れるのが彼女たちらしいところです。
彼女たち。そう、ほたるには羽島くんを始めとしたバンド仲間がいて、よく屋外でライブをするのです。わたしは市役所で働いていた関係で、バンドリーダー兼イベンターでもある河崎さんと面識がありました。まさか、遠い親戚で昔馴染みのほたるがそのバンドに所属しているだなんて、はじめは大層驚きました。彼女にしてみれば必然的にこの地に戻っただけかもしれません。だとしても、すべてのひとが生まれ故郷に帰りたがるわけではありませんから。
暑さ対策で、お祭りで見かけるような水風船をお客さんに配るという企画でした。ライブで用いる種々雑多なあらゆるものを、かれらは手作りします。わたしも協力を惜しみません。
及ばずながらわたしも舞台に上がり、当日はほたると二人で篠笛や踊りを担当しました。そのことについて話すと時間がいくらあっても足りませんから、またの機会に。個人的な打ち上げと称して、翌日の昼下がりに、わたしたちは曽祖母たちが暮らしたあの平家の掃除をしに訪れました。まだ親族の誰かが所有しているらしく、家の保全を行っているのがわたしたちだけではないことが窺えます
換気と掃き掃除をすませ、広すぎて寂寥感のある座敷ではなく、かつて伯父さんが腰掛けていた縁側で乾杯をしました。日が暮れてきたなか、手元をライブの設営時に用いた手回し発電式のLEDランタンが照らします。備品の統括まで行う河崎さんの許可を得て持ってきていたものでした。

「キラヤでつまみ買ってきた」
「でかした」
「あとこんな懐かしいの」

ほたるがビニール袋から取り出した品に、わたしは思わず笑いました。わたしたちは清酒を好みます。そして酒には天ぷらが合うわけです。こういう時、海老や大葉やかき揚げといった定番の片隅に、思い出深い天ぷら饅頭がある嬉しさは、なんとも堪えられません。