NO EXISTS! NO WHERE?

Side.ISUZU

鷺山五十鈴は赤くなった鼻をすんと啜り、黄色い線の内側に立っていた。
東京も寒いだろうが名古屋も寒い。
名古屋から電車で数駅離れたここG市はことさら寒い。夏は毎年全国で指折りの最高気温を弾き出すくせに、冬が生やさしいということはなく、ただただ寒い。

電車が来るまで暖まりたいが、プラットホームに新設された待合室は既に満席だった。キャリーケースとボストンバックを足元に置き、缶コーヒーをコートのポケットに入れてカイロ代わりにした。県庁所在地とはいえ地方の駅らしいシンプルな電光掲示板を見上げる。

年末年始は予定があるからと少し早めに実家に顔を出したら、案の定帰りは荷物の山だった。
白菜やら大根やら林檎やら柿やら味噌やら米やら肉やら缶詰やらインスタント食品やらお菓子やら……を大量に持たされ──曰く、あんた帰ってくるって聞いたらやっとかめやなもぉこれ食べさしたりぃってあっちこっちからそらもうようけ頂いてねぇ、見てみぃこれえらい数やろありがたいことやねえ、けど父さんも母さんももう年寄りやで食べきれんでかん、あんたんとこ持ってき、鍋にするぐらい不精でもできるやろたまにはちゃんとしたもん食べなかんで──ありがたいのは確かだが、重いものは重い。

とりあえず戻ったら車を出して、北名古屋のアパートで暮らしている兄のもとへ物資のお裾分けに行くことにする。こんなことなら最初から車で帰省すれば良かったものだが、運転するのは元々嫌いだし、外泊のために運転するのはもっと嫌いだった。車がないとどこへもいけないのが苦痛で都会に住もうと思ったくらいだ。

時間通りやってきた電車に乗り込む。
朝のラッシュを過ぎた車内はある程度の落ち着きと広さの余裕がある。快速で約20分の静かな思考時間。
田舎からベッドタウンへ。どんぐりの背比べのようだが、それでも愛着と呼べる程度には見慣れた景色を眺めつつ、思い出す。

十三も歳の離れた兄とは、五十鈴が高校を卒業するまで共に暮らしていた。ちょっとしたことで喧嘩が絶えなかった。一緒にやっていた音楽でも衝突し、宝物のはずのベースを触っていてもぜんぜん楽しくなかった。
だが不思議なことに、二人とも独り立ちして住まいを別にしてからは、日に日に関係は改善していった。いまはお互い至って和やかだ。それどころか、音楽方面でも毎日顔を突き合わせて練習していた頃より、会う頻度の減った今のほうが調子が良くなってきている。

その兄がとつぜん、一枚のフライヤーを見せてきたのは先月末のことだった。口下手な彼は「ん」と口にしただけだったが、言わんとしていることは理解できた。
二日間に渡る年末年始のカウントダウンフェス。場所・渋谷アルブレヒト。主催・ファイネッジレコーズ
これまでも大小の音楽イベントにふたりは観客として足を運んできたが、今回のフェスは、イベントそのものの雰囲気も、出演者の顔触れも、極めて異色だった。きっと今まで体験したことのないタイプのライブだ、と兄は直感したに違いない。

携帯端末をいじって基本情報を仕入れると、自然と深く息を吐いている自分に気が付いた。興奮しているのだ。いつも顰めっ面をしている兄が、背の高い弟を見上げてにやっと笑っていた。

「一緒にかんか(行かないか)」
「そうやなあ」
「おれも、こんどお袋んたあの顔見にいくし」
「また野菜持たされんで」

言いながら、仕事のスケジュール調整と、チケット代と遠征費用、一月の生活費とをざっと概算して、「行けそうやったら連絡するわ」と答えた。
それが先月末のこと。このこともあり、ちょうど兄に会いに行かなくてはならないと思っていたところだ。

※※※

Side.SIZUKA

珈琲チェーン店の一角でだらけていた鷺山志樹香は、おもむろに背もたれから起き上がった。
弟が鞄からリングノートを手にし、食事中汚れないようにとこちらへ差し出してきた。無造作に手に取る。ノートにはメモや付箋がたくさんついていて、読みやすい字で音楽に関するさまざまなことが書かれている。先日のフライヤーが挟まっているページを開く。自分が持っているのと同じで、先月弟に渡したものだ。

弟はこちらを一切気に留めない。昔はお互いの私物を勝手に触ろうものなら、たとえ使い道のないガラクタだろうが言い合いになったものだが、変われば変わるものだ。
涼しい顔をして、いつ見てもどでかいカツサンドと、名物ソフトクリーム乗せデニッシュの標準サイズをぺろっとたいらげ、印象的なブーツ型グラスにたっぷり入ったエメラルドグリーンのクリームソーダを啜っていた。
限界を知らない胃袋なのか、さらにエッグバーガーと骨無しチキンとアイスコーヒーを追加注文している。

結局弟は、このまえ実家から貰ってきた野菜類をすべて兄の志樹香に押しつけて帰っていった。ジャンクフードや外食が好きなのは昔からだ。だが、実家でもいわゆる家庭料理を残す姿はほとんど見たことがない。食べるのが好きで、作るのが面倒なのだろう。五十鈴は音楽に関してもこういうところがある。
「あとモンブランもください」
食べ物の名前を聞くだけで胸焼けがしてきて、テキストに集中する。
『NO EXISTS!』出演順にアーティストの各公式サイトやブログ、音源情報や動画のリンクとともに書き留められた文章が並んでいる。読むのは初めてだが、大規模なイベントがあるたびに弟がいつも作成しているものだ。

─Day.1

GHOST with HUMAN 8910
メンバー、来歴、ジャンル、音源不明。邦楽か否かすら分からない。これ以上調べようがない。

THIS EARTH IS DESTROYED
ファイネッジレコーズ。ソロミュージシャン。ネットを漁ったところ、シューゲイザー系の音楽ファンを中心に密かに聴かれているようで、本人のブログもあった。ブロガーの考察が深く、万人に共通する負の感情や普遍的な絶望がテーマとあり、個人的にはある種の安らぎを感じる。ソロユニットのようだが、確固たる音作りの噂を見聞きする。本人の堅実さはもとより、ファンにも同業者にも愛されていることを示しているようだ。

Laruscanus
こちらのバンドも知らなかったので調べてみると、S◯undCl◯udにアカウントがあった。シューゲイザーとカテゴライズされているが、聴いてみるとわりかしギターロック寄りだ。瑞々しいサウンドと澄んだボーカルが心地良い。歌がうまくて勉強になる。生で観たら印象に残りそうだ。

環-Tamaki-
ファイネッジレコーズ。土着的ななにかを感じるギターロックバンド。
1st Album『環』(2001)、ギター/ベースの男声ツインボーカルでも濁ったりもたつかない疾走感! ぜひその場で聴いて参考にしたい。ベーシストがよく見える位置だといい。動いてくれる人であることを願う……。

COUP DE FOUDRE
シンプルな詞と爽やかな曲調が印象的なロックバンド、とのこと。ライブ活動が多く、メディアではバンドとしてというより個人での活躍を見る機会が多い気がする。とある雑誌の特集にインタビュー記事を見つけたが、穏やかで落ち着きのある人柄が窺えた。自由とこだわりを両立する大人たちという印象だ。

G.U.L.
ライブツアーを積極的に行う四人組ロックバンド。国外で熱狂的な人気を誇るようだ。ライブ映像では、演奏技術力の高さやアレンジのバリエーションにただ驚愕する。今のところ音源の入手が困難らしく、悔しい思いをした。物販に円盤があればぜひ手に入れたい。
噂によるとボーカルは犬好きらしい。

SIGNALREDS
CDもほぼ揃えている自分からすれば当然ベテランの域にあるロックバンド。素直に格好いい人たちだ。フォークやジャズ、その他ワールドミュージックのテイストがみられるのは民族楽器や英米文学のルーツがあるためだろうか。ベースの井上さんの機材を知った時、兄がベースを買ってくれたときにフェンダーのプレベを選べばよかったかなあと思った記憶がある。今回はどんな演奏を見せてくれるのだろう。

─Day.2

ニュートランクライン
男女混声パワーポップバンド。ツアー・音源ともに多数あり。栄に設置されたFLYING P◯STMANで知り、過去に野外フェスで一度聴いている。個性的なメンバーによる生き生きしたボーカルとサウンドを思い出す。多種多様なルーツを内包しているにも関わらず、ばらばらにならないバランス感覚が絶妙だった。遠目で見た木目のジャズベース……いや、十五歳の誕生日から連れ添ったBB5000をいい加減使いこなさなくては。他のアーティストの方向性が掴めない部分もあり、今回のセトリが気になるところ。

真如
メディア露出が少なく、勤め先のオーナーに頼って聴いたところ原典的音源『さとび』が存在するとのこと。ライブにおけるアレンジにこそ真髄があるように思われる。独特の法則性と秩序に相対する、自由に蔦を伸ばす植物のような柔軟性を想像する。
SNSをついチェックしてしまう。犬がいる。

Mole Against the Sun
G.U.L.との対バンでも知られるスリーピースロックバンド。卓越したセルフプロデュース能力、ストレートで熱のある曲調と、低音だが曇ることのないボーカルが印象的。ラジオでも耳にするくらいなのに、じつは生で聴いたことがない。生で聴くべきバンドだと本能が言っている。

Great Painter
重厚さと華やかさが交差するマスロックという印象。インディーズらしいがネットを探るとどうやら一部の都市では認知されている様子。首都圏在住と思われる人の音楽ブログでも言及がみられ、えげつない変転拍子、若手らしからぬ歌唱力と演奏技術の高さに度肝を抜かれ追っかけ始めたのだとか。
SNSで曲の断片や音作りの現場の一端を垣間見ることができたが、思いもよらず親しみやすい雰囲気ですぐに好感をもった。節々からハイセンスで趣味が良いバンドだと伝わってくる。猫もかわいい。

aqua ball
ジャンル複合型の基本スリーピースロックバンド。深みのあるオケ構成。タイアップも多く、楽曲は多様性や意外性に富む。去年のライブで聴いているがどんな球を打ってくるか分からなくてわくわくする。オンラインライブも存在を身近に感じられていいが、もう一度リアルライブで圧倒されたい。ギター/ベースの技巧は流石プロなどという言葉では片付けられない。
1st Album『水濫』。歌唱入りだが、インストverの配信もされており聴き込みに最適。
2nd Album 『bridge』の情報も得た。物販で手に入れば嬉しい。

Drive to Pluto
ファイネッジレコーズ。残念ながら解散したバンドらしい。複数のアーティストによる特別編成のプロジェクトチームかとも推測したが、そういったサプライズができそうな主催のファイネッジレコーズ所属ミュージシャンはそれぞれに出演が決まっている。今回の出演で再結成……というわけでもなさそうだ。GwHとは別の意味で謎が多い。ネット上や各種サブスクにも公式動画や配信がない。

Bear’s
若者を中心に人気を集め、ポップカルチャーの先頭を走る四人組ロックバンド。どこでもよく見聴きするのでライブでも観た気になっていたがそういえば初めてだ。最初はくまの被り物をしたベーシストが「クマ」と呼ばれているのかと思っていたが違った。ベーシストのビジュアルに目が行きがちだが、一発撮り動画でもそつなくこなすプレイングには思わず目を奪われた。動画はもう何度も観ているがきっとライブでは格別に盛り上がるに違いない。
キャッチーな写真の投稿も多く、SNSの更新を楽しみにしている自分がいる。動物をモチーフにしていることが多い。犬はいないのだろうか。

……音楽に関係ないことも書かれているが、これらを含め、拾えるだけの情報は志樹香もすでに収集していた。
ベースを購入した時のことが思いだされる。いまでは考えられないが、あの時オリジナルの新品を手に入れられたのは幸運だった。新しいもの好きな五十鈴が、あちこち浮気しつつも、なんだかんだで初めて手にしたBB5000をずっと大事にしてくれているのは嬉しい。でも、本人に言ったら単に買う金がないだけだと返されるだろう。

バーガーに齧り付きながら弟が上目遣いでタブレットを指差す。

「俺はぜんぶ聴きたいけど、どう。兄貴やったらまず気になるんは」

少しの間一覧を眺めてから、テーブルの中央にタブレットを置き、ひとつ、ひとつ指先でフライヤーの名前をたどる。環-Tamaki-COUP DE FOUDRESIGNALREDSニュートランクラインMole Against the Sun。やはり自分たちが男声デュオということもあって、似た編成のバンドは自然と気になる。(……Drive to Plutoにはあえて言及しなかった。公式な配信音源はないとだけ書いてあるが、弟はあのバンドの曲を聴いたことがあるのだろうか)
弟は口の端にソースをつけたまま「やと思ったわ」と少年のように破顔してみせた。

そう言うおまえはと促すと、だからぜんぶ気になるんやけどと前置きして、「真如聴いてみたらいろいろ試す独自の音楽って感じやった、すごい自由で惹かれる。ライブでどんな楽器使うんか観てみたい。aqua ballはよくいろんなとこで曲流れとるけど、改めて聴くとやっぱめっちゃ綺麗やよね。あの超絶技巧絶対生で観なもったいない。Bear’sのカウントダウンは絶対盛り上がるやろ、絶対。あと俺もニュートラとMATSやな」と畳み掛けるような答えが返ってきた。

「俺にないもんいっぱいあって、眩しい。みんな、ほんもののひとたちやなって思う」

伏し目がちな弟の目をじっと見る。実家にいたころはクリスチャン・ロックに傾倒して、夜中には寝室からなぜかヒルデガルト・フォン・ビンゲンのセクエンツィアとともに謎の詠唱が聴こえてくるちょっと変わった弟だと思っていたのに、やはり変わるものだ。

「おれたちもほんものやけど」
「存在しとるって意味ではね」
「なんそれ」
「いやイキったところで、ゆうて無名やん」

また連絡するでね。 ん。
会計を終えて駅で別れるまで、交わした会話はそれだけだった。まだ名前もない、細々と地元で活動している兄弟デュオの今後について、具体的な話し合いはひとつもしていない。フェスの当日はどう行動するのかも相談していない……それは毎度のことではある。計画を立てるのは楽しいが、いつも計画通りにいったことはなかった。

そもそも、話すことが苦手だった。吃音は子どもの頃から変わらない。大事なことほど言葉にならず、喉でつっかえて、焦れば焦るほど上手く伝えることができない。
歌なら、何度も練習すればそれを叶えることができた。それでも弟のほうが口達者なうえに、何につけても要領が良かった。喧嘩が多かったのもそれが一因かもしれない。五十鈴を見ていると、志樹香は我ながら大人げない兄だと思うのだった。

昔のことはいい。弟がこれだけ今回のフェスに関心を寄せ意欲に燃えているということは、よく伝わってきた。きっと、ライブハウスのスタッフとコンビニの掛け持ちアルバイトのシフト調整もうまくいったのだろう。入手した二日間二人分のチケットが無駄にならずにすんだということだ。それだけ分かれば今は十分だった。

端末がメッセージの到着を知らせる。弟からだった。

何か見つかるとええね。

既読にして、返事はしなかった。何かが見つかると、良い。それが良いのだろうか。それも、良いのだろう。だが「それ」はあわよくばというものだ。
自分たちがなにかを模索していることは確かだ。弟の向学心や真っ直ぐなところを否定するつもりもない。しかし、一番初めの目的はいったいなんだったろうか。

志樹香が奏でるアコースティックギターの拙い音色。五十鈴が指を鳴らしてリズムをとりながら、和室に響いたユニゾン。手書きの譜面。ふたりで初めて作った曲を、ふたりで歌った。殺風景な六畳間で座布団に座って。観客はうたた寝する飼い犬以外に居なかったが、あのときが一番楽しかった。
目的はなにも難しいことではなかったはずだ。

ずっと楽しく音を鳴らして、歌っていたい。
いま現在がいちばん楽しいと思えたらいい。
楽しめばいい。
きっとそのために宴は開かれるのだから。

師走も半ばの空気は冷たく、雲間からは天使の梯子が時折降りてきてはうっすらと翳る。ひとの心を急かす低い風の音。
何もないような空へ吹き渡る。
音。どこへ。
呼ばれるようにして街路を歩き出す。

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つづく