②1日目後半 CDF〜SIGNALREDS

執筆期間 22.1.2-22.3.30(修正 22.5.5)

 

Side.ISUZU

──絶対忘れないと思うけれど、記録しよう。絶対忘れないために記録しよう。

 

音楽には嘘がつけない、なんて書くと格好つけすぎかな。おれはいつも嘘をついている。自分は器用に立ち回って、ほかに支えなくちゃならない奴がいるから。それはまあ本当だけど綺麗事、やっぱり嘘。怖いんだと思う。本当に言いたいことを言うのが。本当にしたいことをするのが。

音楽には嘘をつけない。実体がないものには嘘も虚勢も通用しない。だからやっぱり怖いのだ。
15の頃からベースを始めた。本当の自分、未熟な自分が曝け出されて、恥ずかしかった。音楽なんて続けていたらいつかうちのめされるんじゃないかと思った。気持ちがグラグラして、不要な見栄を張って、よく兄弟喧嘩もした。嘘をつくのは良くないことだ。だから必要な時にだけ、必要なぶんだけ口を開く。でもいったいどれだけの嘘が“必要”なのか?
音楽は好きだし、誰にも、特に兄貴には、下手なベースを聴かせたくないし、恐れているなんて悟らせたくない。どうにも、余裕ってものがない。いつだったか誰かにぽつりと話すと「五十鈴いつも余裕そうやん?」と返ってきた。それは偽物のおれだよ。
かみさまに祈る真似事も意味がなかった。

今のところたったひとつ、ほんとうの自分を姿のまま曝け出せるのは、ライブの客席。わあわあ叫んで、真剣に聴いて、拳を突き上げたり、腕を揺らしたり、本気の汗をかく時だけ。
フェス初日前半のミュージシャンたちは、まったくもって個性的で、だけどとにかく自分/自分たちのスタイルを貫いているところが唯一共通していたように思う。滲み出る“自然体の自分”の魅せ方が巧い。あれは、嘘をついているわけじゃない。
あんなふうになれるかな。

嘘つきの性で、ステージ上のミュージシャンも、なにかしら嘘をついているんじゃないかと勘繰る時がある。嘘というと言葉が良くないか。なにが本当がわからなくなるってことだ。ステージに立つアーティストとしてのその人と、私生活のその人。一般人だって、こうしてライブやなんかで盛り上がるのと、ふだんの仕事や学校では振る舞いが違うことがほとんどだと思う。まさかあのひとが、なんてものすごい認識のズレに背筋が凍ることもある。他人のことなんか何ひとつ確信を持てない、自分のことだって。
人前に立つのは鏡の前に立つことと同じ。
よく、鏡に自分が映らない夢を見る。
罅が入り、大きな音を立てて割れる。
怖い夢だ。

自分自身を含めて、見えているものが信じられなくなったら、答えの見つけ方は、姿形のないものに頼るしかない。神学や哲学の書籍をめくって、昔から人間は似たようなことを考えるんだと思った。あるひとはそれを神だと言うかもしれない。あるひとは理だと、またあるひとは心だと言うかもしれない。

ここで尊敬するクリスチャンロックバンド、Thousand Foot Krutchの名曲「Be Somebody」の詞の一節を、おれはこう意訳する。
“本当は、いつかほんもののおれたちの姿が誰かに見えるようになったらいいって思ってる”。

おれは音楽には嘘をつかない。
だからこの記録に嘘はない。

 

【COUP DE FOUDRE】

フェス1日目の半ばにして兄貴が音を上げ た。環のステージが終了した時点で、悟りを開いたみたいな、逆に穏やかな表情をしていて「ああもうこいつだめだな」と思った。
おれたちはフロアを離れて、ラウンジスペースからモニタを眺めていた。
さっきから自分たちの周りには不思議なひとたちがいる。
緑髪の元気なひとが無邪気に足をばたばたさせて笑う。

「どのバンドも良いしー、どっからでも観やすいしー、ご飯美味しいしー、このフェス最高っすね」

先ほど知り合ったばかりの、たまたま同じ地方からやってきたひとたちだ。流れで何となく一緒に居る。緑髪のひとは学生かと思ったら社会人で、ネオンブルーのウィッグに気合いの入った自作衣装の女性は謎めいた微笑を浮かべ、一見地味な初老の男性はなにがどうしてそんなひとたちと当たり前みたいに共に居るのか分からない。
かれらは全員GwHを目当てにやってきたという(あんなに調べても情報が出てこなかったのに、どうして知っているのか?)……ともかく、おれたちと同じように小休憩を挟みながら楽しんでいるらしい。

美味しいご飯。たしかに、ちゃんとした正月料理なんて久しぶりだ。一般的に家庭で食べるものとされる料理を、見知らぬひとたちと食べているのが不思議な感覚である。

ほどよい音量のBGMが、緩やかにアップダウンしつつ流れて、観客の熱量をひそかにキープさせる。
漢の4ピースギター・マスロックが大いに暴れてその独特な香りを残していったステージには、いま、どこか掴みどころのないフロントマンが立っていた。

「みなさん、こちらゆったりタイムです。後半に向けて体力温存しながら聴いていってください。」

彼が現れたのは、転換も完了しステージも明るくなり他のメンバーも舞台に揃った、開始のタイミングの最後の最後で、さすらいの旅人か詩人のような風貌からは、直前までなにをしていたのかさっぱり読み取れない。
だが、3人揃えばメンバーは穏やかな笑みを浮かべた。
まったりとした語り口が心地好い。こういうマイペースな喋りって喫茶店(うち)でもウケがいいんだよな。見習おう。そんなことを思う。

対して兄はようやく正気に返り、じっとエクスプローラーに魅入っているらしかった。COUP DE FOUDREのバンド名の意味との繋がりを兄貴は知っているだろうか?
CDFは、著名人としては個々に活動しているイメージが強い。そういう意味では今までの面々と比べてぐっと身近に感じるバンドだ。
誰にともなく呟くと、例の穏やかそうな男性が同意した。

「僕もクドフーに関しては、たしか最初はBRUTUSの特集で知りました。家具や楽器のディスプレイとか、私生活のセンスが良いんですよね。」

たぶんおれが読んだ号と同じだな、と思った。
ステージはこれまでにない穏やかさで満ちていた。4/4拍子、落ち着くリズムだ、けれど浮遊と意外性の遊びが織り込まれている。彼の言う通り、センスと余裕が感じられる安心感のあるバンドだ。メンバー同士の付き合いの長さや、酸いも甘いも噛み分けた大人の人生観みたいなものを感じる。

黄金比のようなスリーピースバンドを観ていると、自分たちにはドラムスがいないよな、と思う。
3でも5でも7でも何でもいい。2人でもいいひとたちは良い。だけどとにかく今のおれたちはバランスがよくない。

普段からライブ中心の活動だから、こういう特殊なフェスでも緊張することがないのだろうか。場慣れしているというのは本当に羨ましい。気を衒わないファッションにもあこがれを抱く。
昔、スローテンポで詞の少ない楽曲の、音楽それ自体のよさが分かったとき、ちょっと大人に近づいた気分になったことを思い出した。

「COUP DE FOUDREでした〜この後もたのしんで! 」

客席が拍手でCDFを見送り、再びフロアが気持ち明るくなったようだった。
最初の緊張感も解け、一体感も生まれ始め、ほどよくリラックスした観客たちがラウンジへ移動してきて、にこやかに談話や軽食を楽しむ。聞こえてくる会話も和やかなものだった。

「クドフー良かった。なんか聴いてるだけで大人になった気がする〜」
「わかる。メロディきれいで沁みるな……」
「絶対酒合うもんなー。また家で飲みながら聞こ」

……日本の戦後からカラオケ喫茶を営んできた祖母は、いつも言っている。飲食ができて、音楽があって、必要なのは、その場に居合わせたひとたちに「ここに居て心地好い」と思ってもらうことだ、と。
COUP DE FOUDREがもたらしてくれた時間。すばらしい光景だな、と思う。

 

【G.U.L.】

「コンバンハー! シーブーヤー!!」

客席が歓声を上げる。
まったりタイムの食事会はおしまい。謎のGwHファン3人組と別れて、それぞれフロアに戻る。皆、気合いをいれていくぞとばかりに。
そこは、闘いの場。「ヤアヤアワレコソハじーゆーえる! ヨロシクゥ!」 そこには、ほんとにもののふ(?)がいた。 自国の言葉で挨拶してもらえると、多少風変わりでも勉強してきてくれたんだな、とわかって嬉しくなる。同じ思いのひとが居たのか「ロアンさーーん!」と客席から黄色い声が飛んだ。

「初メテノ日本公演デゴザル。呼ンデクレタふぁいねっじれこーずノ皆様、カタジケナイ。魂コメテ演奏スルノデ、最後マデヨロシクゥ!」

……多少、風変わりでも……? なにを参考にしたんだろう。
兄貴は珍しくMCにわはははと笑っていた。いくら本人たちからこんなに離れた後方の席だからって、失礼だろうが。そういえばこの男は酒が入ると笑い上戸になるのだ。ツボに入ったのか、ギタリストに合わせて「ヨロシクゥ!」と言って楽しそうにしているから、まあ良しとする。でもおまえ、そういうとこやぞ。

「バンド名“グル”やと思っとった」
「そう呼んどるファンのひとも居るで」

そんなふうに軽口を叩き合っていた兄も自分も、セッションから曲の演奏が始まると、一気にそちらに惹き込まれていった。

外国のプログレロックというざっくりした認識でいたが、下調べで事前に観たライブ映像とまた違うテイストで、やはりアレンジの多彩さに感服する。この場で実際に聴くからというのもあるだろうが、まるでおれの好きな音を選んできたような感覚になり昂揚する。どんな場も掴む表現力があるバンドはつよい。
他のパートはもちろん、ベーシストも実力派だ。プレベを構える姿はいかにも脱力系に見えたが、高出力のピックアップがキレよく立ち上がる。力強く、ぜんぜん曲負けしない。おれだったらたぶん相当しんどい、というか無理だ。

詞も、言葉は分からなくても心地好い。曲名だけ聞くと、海や冬をイメージさせるものが多い。海を越えて来たことや季節も意識してセトリを考えてきたのかな。芯のあるまっすぐな目をしたギタリストの姿には、見た感じちょっとシリアスな印象もある。分からなくていい。すべてを理解できないからこそ心地好い、ということもある。

それにCDFからの緩急もたまらない。横揺れからの縦揺れという感じである。今回のフェスには、ビッグネームのバンドが何かの魔法のようにさらっと参加しているが、G.U.L.もその一組だ。
彼らを目当てに、はるばる渋谷を訪れるファンも居るだろう。それらしき観客たちも見かけた。

最後にギタリストが拳を振り上げれば、体力を満タンにしてきた観客たちも振り上げる。
さすがに毎回各都市のツアー最終日までチケットをソールドアウトにして、追加公演まで行うと噂に聞くバンドは違う。本物を生で観れるなんて。

「カタジケナイ! サラバ!!」

でもMCでふふってなっちゃうんだよなあ。世界で愛されるバンドって、そういう人間性も含めて愛されているのかもしれない。

そうだ、音源を手に入れておかなくては。いちおう、出演するバンドの音源は序盤に一通り手に入れた。迷惑になるような爆買いはしないが、欲を言えば布教用にもう一枚。自分のことは棚に上げて、プログレぽいってだけで敬遠する音楽友達に聴かせてやるつもりだ
物販コーナーを行き来する際にまたすれ違ったあの緑髪のひとが、おれを見ると「カタジケナイ!」とか言ってきた。もしかして流行るのかこれ。

 

【SIGNALREDS】

転換の時間。
G.U.L.がしっかり熱を通してくれたおかげで、場はすっかり温まっている。しかも、今夜のトリの登場にますます期待のボルテージが高まっているのが分かった。我慢できない観客の短い叫び声、奇声?や口笛が聴こえる。客席の前方の熱気がここまで伝わってくる。群衆がぐいぐいとステージに詰め寄ってゆくようだ。

SIGNALREDSはたしかサプライズ枠で、すこし後になって出演が発表されたのだ。もちろん自分たちが持っているのは彼らの名も記された最終決定版のフライヤーだった。手汗が染み込んですこし皺くちゃになってしまっている。おれもすこし、ほんのすこし取り乱す。

ちょちょちょ井上さんが見たい井上さんのベースがみたい聴きたいこれから聴けるイッパイキケル」
「だ、だい……?」

大丈夫? と訊こうとしたらしき兄貴が目を逸らして他人のふりをしやがった。なんや、なにがおかしい。楽しみにしとるって始めから言ったがや。

まだ、まだステージは暗い。だが来る。彼らは来る。
シグナルが、照明が灯る。

「────今晩は。」

五人分のセットのもとへ、メンバーが配置につき、さっき見た帽子を被っている小澤さんが一言。
……所々で困惑と驚愕のどよめきが起こっている。兄も目が点になっている。なに? おれには分からないなにか? いや、ちょっと待って──

「シグナルレッズです。No Exists! 1日目のトリにお招きいただきほんまに感謝しております。僕たちいままで京都でやってきたんですけど、最近は東京でもぼちぼちやっておりまして……」

──最近って、いつ?

が、曲が始まると疑問は彼方へすっ飛んだ。CDFやG.U.L.とまた違った雰囲気で場慣れしている。いでたちも洒落ているし、MCも軽妙で余計な力が入っていない。すべてが格好よすぎる。
井上さんのランニングベースを一生聴いていたい。おれと同じくらいの歳にみえるギタリスト、見るからにギャンギャン鳴らしそうなギターが思いもよらぬ綺麗なアルペジオを奏でる。

「ではここでメンバー紹介──」

パフォーマンスをしてくれるメンバーひとりひとりに向けて、フロアから熱のこもった拍手や声援。

CMに起用されるくらい耳馴染みのよい楽曲はもちろん、小澤さんの書く詞に感銘を受けた音楽ファンは多いだろう。熱心なファンや文学に明るいひとならひとつひとつ詞の元にされた作品が分かるかもしれない。おれも読書家とは言えないが、いくつか思い当たる節がある。間違ってたら恥ずかしいからここには書かないでおこう。

「それで、歌うたってくれはるのが、」
「ボーカル・ギター、小澤です。今日はほんまにありがとうSIGNALREDSでした!」

最後までその場の全員をとりこにしたまま、SIGNALREDSは去り、今夜の公演は終了……しない。
はじめは前方から、そしてこちらまでだんだん大きく、速く響く客席のクラップ音。おれたちも手を打ち鳴らす。
再度登場してくれた彼らに盛大な歓声が送られる。惜しまれつつも今日本当に最後の曲だ。

「えらい寒いですから、お帰りの際は皆さんお気をつけて。それで、今晩のご挨拶はこれがええんですかね?
皆さん、『よいお年を』お迎えください。SIGNALREDSでした!」

「かっっこえぇ〜〜……」
「い……!」

その時のシグナルは、おれにはどんな色に見えただろう。止まれ? 進め? 点滅、注意して……?
アンコールにも聴き惚れて思わず素で呟いている兄と、井上さんと叫びたくても感極まって結局声が出なかった自分。いろんなひとが叫びたい放題声を上げている。今なら叫べたのに。くそ、さっきからしーちゃんの奴ニヤニヤしやがって。

「声出しの練習もしときゃあ」

うるせえ。しゃーなしや、これは。シャイなファンなんやて。

7、8時間前とはまるで別の場所、別のひとたちみたいな親近感と一体感。
そうか、年末か。冬か。季節を忘れるくらい、熱かった。

 

【Day1.終演後】

「……でな、COUP DE FOUDREは晴天の霹靂って意味があるんやってさ」
「一目ぼれって意味もやぞ。なんか分かったよな」
初日を終え、宿に戻って繰り広げるのは修学旅行生みたいな会話だ。兄はベッドに大の字で、おれはデスクで記録をつけている。

盛り上がりの冷めやらぬなか、ノーエク1日目を終えた。まだじんじんと熱く汗ばむ手のひらでペンを握り、レポートを書いている。
遠征ではいつものことだが、兄とおもうさま感想や期待を語り合う。

「環、環良かったなあやっぱり」
「シグナルも良かったなあ」
「みんなよかったよなあ」
「明日も楽しみやなあ」

だんだんこどもみたいな感想しか出てこなくなってくるのは、兄は寝言半分で、自分は調べものをしているからだ。

井上さんの5弦はIbanez。持ち込んだノートパソコンを開き、改めてネットで調べて、確証はないけどたぶんこれだというものを見つけた。……欲し[取り消し線]
憧れのミュージシャンと同じベースを手にしたからって、経験や技術まで手に入らない。当たり前だ。誰だってそうだけれど、あれは井上さんのもので、SIGNALREDSだから魅力的なのだ。おれはおれのベースを突き詰めよう。なんだか青春漫画のくさいセリフみたいだけれど。そうすればもっと良い音を鳴らせるはずだ。偽物じゃなく。

よかったなあ、と言い合ううちにグーグーといびきが聞こえてきた。布団を掛けてやり、自分はヘッドホンをつける。装着しただけで音楽は流さない。代わりに今夜の記憶を再生しながら、無心で書き続けるのだ。

うとうとしかけたとき、充電中の携帯端末が、何度も通知を受けて点滅しているのが見えた。たぶん今日連絡先を交換したばかりの、あの緑髪のひとだ。見るからに根明っぽかったからなあ。さっそくの連絡で申し訳ないが返信をする気力はない。

明け方近くに寝落ちしていた。目覚めると「おそよう」と言われる。肩に兄のコートがかかっていた。おかげで風邪はひいていないみたいだ。宿の朝食を食べ終え、さらにどこかで買ってきたらしいハンバーガーにかぶりついている兄に礼を言う。
自分もしっかり休んで食べておかないと。夜になれば、また狂乱の祭典が開かれる。

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つづく