ポストヤドカリプス

およそ人間が滅びるのは、地球の薄皮が破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被さるのでもない、飛騨国の樹林が蛭になるのが最初で、しまいには皆血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それが代がわりの世界であろう  泉鏡花『高野聖』

 

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ポストヤドカリプス

 自室には毎日ダイヤルロック錠をかける。キーを誰かが触る音がする。起きたいが起きられない。寝返りを打つ。なにかが目の下あたりをくすぐった。枕カバーの品質表示タグだった。サイズ430630。次のパスコードは270900だ。毎日変えるのもそろそろ億劫になりつつある。昨日はどうしていたっけ。……昨日? 毎日? 時間が進んでいる感覚がまるでない。思い出せない。手になにか握っていたことに気付く。消しゴムだった。侵入者を威嚇するためとりあえず扉に向かって投げつける。音が止んで名を呼ばれた。その声にも自分と似た怯えがあった。立ち上がって恐る恐る応じる。足裏は過敏になっていて、カーペットの感触が刺々しく感じられる。戸を開けると隙間の暗がりから青白い腕が伸びてきた。風邪で休んだ同級生の家に配布物を届けにきた、そんな所在なさと、そして一抹の気軽さをもって、なにか一枚の紙が差し出される。

「お腹痛くないときでいいよ。五分か十分だけでもいいよ。このフライヤーもっていったら入場できるから、よかったらきてね」

 受け取る。ぼんやり浮かぶ相手の顔を見ても驚かなかったことに驚く。自分が自分に話しかけている。フライヤーを渡したのも自分だし、受け取ったのも自分だ。おままごとみたいな役割分担制の夢か。架空の存在でもいいからせめて誰か友情出演してくれよ。寂しくなりながらも、身体を動かせると気付く。夢から覚めて、目の前の風景が三次元としてグリッドとウェブで認知されていく、現実感。だけど、本当にここは信じてもいい現実か? 手に強く握っている紙の感触。もしかしたらヤドカリに文明を滅ぼされた可能性もある。うん、ヤドカリ。寝起きの脳みそが弾き出す突拍子のない思いつきも嫌いじゃない。そう定義しても、あるいは間違いでない。うちには鏡がないし(鏡の性質を持つものはあるかもしれない、壁面を隠す有体物の山をどかせば)もはや誰も訪ねてはこない。起きたらすぐ支度をして家を出る。手に持っている紙をおそるおそる開いた。

《キミは私が眠る時間に物音を出す。布団の中で不完全な音楽を聴きながら、キミとはまるで生態の違う生き物のようだと思う。キミが日常的に一定の不親切を心がけることには、意味がある。キミと私が違う人間であることを、分断の線を引くより優しく思い出させる効果があるからだ。それ以上不親切になることは決してなく、私の大好きな友だちでいてくれることに、これ以上感謝すべきことがあろうか。私は精神の鏡の世界を容易く抜け出すことができる。そしてまた恐ろしい四面鏡に向自的となるとき、白昼やら街中やらをいともかろがろと越えて、キミの居る、薄明かりが広がる白いメープルの文机に案内されている。すると、独りではないと強く感じる。この往来は、キミと私の自由意思で始まったと記憶している。変えることができ、今のところ予定はないが、対立や口論をしたり、終わらせることも自由にできるに違いない。神格であり無心の支配するところ、その盤上で行き交う私たちは、見えない目を開け、見える目を閉じることで、炯然と出会い、都合と容赦の擦り合わせを繰り返す。キミに身体性の確約がないことなど、とても瑣末な問題だ。しかし、その小さな問題にキミが苦しみ悩んでいるであろうことを無視はできない。キミが自分を思い出せるよう、陰ながら助力する。》

 神格であり無心の支配するところ。紙を裏返すと、やはりそれは、見覚えのあるものだった。灰色にくすんだ通路を抜けて鮮やかな市街に向かう。フライヤーを片手に。

 しかし、どれほど能動的に事態を変えようとしても、抗いがたい大きな流れに巻き込まれている事実を突きつけられるばかりだ。体感として逃れようがないのだから、この現状は現実ではなくとも事実である。ここはまた新たに敷かれた時間線なのだと理解した。  街中ではない、生活道路だ。ブロック塀が崩れかけた古い家々が立ち並ぶ。道も狭く家屋は密接している。電柱にひらひらと揺れる用紙が貼り付けられていた。一昔前のペット捜索願いみたいだった。いまにも風に飛ばされそうだったので手に取る。

《キミよ、まだ眠っているキミよ。その覚醒した夢のなかで私は起きていられない。だからいつも手紙を残すしかなく、直接の対話もできないことを許してほしい。私のいるこちらでは、自我もなく意識もなく屍が働く。死体たちのパレード、聖者のデスマーチ、そんなふうに目を閉じた現実で生きている。それが私であり、もうひとりのキミの実体だ。信じる必要はないがそれが私の主張であり真実だ。生きることを諦めてしまったから、自由意志の欠片をキミに託したとも言える。キミが死のうと思えば私もろとも消し去ることができるくらいには、キミにさまざまな行使権を譲与している。それでもいい、なんでもいいから意志を持って生きてほしい。低きへ流れる意識に抵抗してほしい。私を助けてほしい。身勝手な願いを押し付けてしまうことを、キミは恨むかもしれない。もう嫌だと思うなら、いつでも私の深層に戻ってきていい。でも、もしまだそこに留まり、夢の中を奔走するのなら、私のためなどとは言わない、キミ自身のためにどうにか抜け道を探せはしまいか。独りでいるのは、不安だろう。》

 手紙に書いてあったことを思い出す。自分が現実だと思っている世界が夢だったというのは、ドラマなんかでよくある夢落ちだ。逆に、夢だと確信しているのにいつまでも醒めない、という仮説も立てられる。もしそうだとすれば、じつはここは紛れもない現実世界で、自分は狂人のような立ち回りをしてはいまいかと勘繰る。

 ちいさく蠢く黒い影。アリの巣の名を冠したハード・コア系の地下ライブハウス。〈彼〉はそこに居て、今まさにひとつの曲を演奏し終えたところだった。

  エフェクターボードはシンプルで整頓されている。スイッチはオンになりライトが灯っているが、光量はテープで封じられている。光が苦手なのかもしれない。〈彼〉は普段おしゃべりをしない。この日は、足元のプロンプターを凝視しながら、「手」についての訥々とした語りを述べていた。

「誰の手も、何かをする手では、あるやろ」  動物撫でたり、飲み食いしたり。家事とか掃除とか。その場で、自分にしかできんこと。ちゃうけ? 自分が大切にされたり尊重されることを受け入れる。他人にもそれを返し、平等の意味を理解すること。

 このとき〈彼〉はひどく言葉につっかえていたし、俯きがちで、少なくとも堂々と胸を張ってそう言ったわけではなかった。でも特別なひとなどいない、だが誰もが平等に大切な生命だ、そう言える〈彼〉の心は彼自身の努力と周りの環境が育んだのだろう。幸運にも。人間社会に生きていながら社会的でいられることが幸運の範疇とされるのも変だし、幸運に頼らざるを得ないことを社会性と呼ぶことにひどく心がぐらついた。苛立った。なにか記憶めいたものへの拒絶反応であることは間違いない。前置きもなにもなく、次の曲が始まる。「フォレストオブマインド」。

 再び地上。家々という家々はヤドカリに飲み込まれている。そうなってしまったかと思いながら眺める。ただし、家に飲み込まれている格好なのはヤドカリのほうだ。また電車に乗る。短い微睡みと覚醒を行ったりきたりする。

──ポストヤドカリプス。事象はのちにそう呼ばれ、夢のカオスに閉塞する不合理な世界における重大な歴史の転換点となった。夢は覚めるまでその不可解に気付けない。悪夢に振り回されるままでは苦痛だが、明晰夢というものがあるのなら、この状況は夢見の当事者によって操作できる、サバイブ可能な時空であるはずだ。さあ、ここまで己の論理を夢中に展開させることが出来たなら、動けるだろう。夢も現実もどこまで続くかはわからない。おおよそ人生と同じことだ。ならばじっとしていても栓がない。現実かどうかなんて、それぞれ〈あなた〉が判断することだ。

 誰かもわからない〈あなた〉を兄弟のように思うことはできなくても。同じ世界に居ると神のように理解して、仏のように微笑むことはできなくても、せめて〈あなた〉とは誰なのか知りたい。だからこちらへ誘われたのだと思う。今日は行くべきところがあり、この手足で事を動かす必要があると感じていた。

反海老反り

 鮮やかな海老色の夕陽が海面を染めている。伊勢湾沖の人工島、中部国際空港立体駐車場に、嘘のような黒塗りのセダンが停まった。運転手はサングラスを持ち上げて腕時計を確認する。助手席に放り出したままの古い音楽雑誌を適当にめくる。ラジオではちょうどギタリスト兼シンガーソングライターの小西よぞらがナビゲーターを務める〈ライド・サテライト〉のオープニングが流れている。ラジオの放送時刻は現実の時間の流れとは異なる。故障でも間違いでもない、こういうものだ。聴き慣れた、エアリーなトーンの声が午後五時を告げる。昔読んだ雑誌のインタビューでは小西はカニの収斂進化について語っていた。複数のバンドでカニ鍋を囲み対談する企画だ。以来彼の心になにかがヒットしたらしく、カニトークと称して時たま音楽性や創作性を甲殻類に喩えることがあった。それはまだなにもタブー視されていなかった頃のことだが、いまも小西はなんら気にせずカニ鍋を語る。

 彼の所属するバンドyobuneは、先日ラッパーやアイドルが共演する地下ライブのバッキングバンドを務めたらしい。ファン層のゆるやかな連帯があるためなのか、アニメやアイドルについては昔に比べて言及しやすい印象だ。名古屋出身のバンドらしいサブカルチャーとの関わり方だとされる一方で、俗っぽいという意見も聞く。ゲストに“メタル音楽家兼アイドル兼プロレスラー”の栂(つが)池(いけ)非実(なるみ)が登場した。第一声はデスボイスだった。脳に響く低音。彼らは、フロアのあたたかく湿った空気が時間のうねりを可視化させたようだと語る。栂池はしあわせな時間だったと言う、その言葉尻が小さく揺らぐ。アイドルがエレキギターを掻き鳴らし、ラッパーがヒットチャートを賑わせる。狂乱の外で微かな声がする。本来出会うべきでない音楽をむりやり融合させないで。極力縄張りのなかだけでやって。ちいさな本音。栂池と小西は短くテンポの良い言葉の応酬でトークが重たくなりすぎぬよう浮力を得ながら、語る。でも、ぼくらは誰かを否定することで成り立つ音楽はしたくない。この年頃の若者たちは随分としっかり己の価値観を口にする。いたって平凡な価値観を、まるで真新しい服のように新鮮な顔つきで纏う。彼らは平凡であることを恐れない。

 脳裏に、旧友たちの顔が過ぎる。ナガラもイビもキソも変わってしまった。彼らという大きな川のような存在は、居なくなったり、複雑に入り組んだ事情で、横に並んで過ごすことがなくなった。かつて同じ夢を見た子どものころの自分が、寂しそうな背中でいつまでも記憶のなかの夕暮れの公園に佇んでいる。キソは最近、また音楽に接近しているようだ。あの頃のように、ピアノを弾くだろうか。

 掴みのトークを終える頃合いに、仕事帰りの身体がとろけるようなギターの甘いイントロが重なる。運転手はデスボの時点でラジオの音量を絞りたかったが、なんとなく身体を動かすのが億劫だった。ようやく腕を持ち上げる。頭頂近くで束ねた髪が一房肩へ垂れたのも気にせず、背もたれの角度を十五度ほど深く調整し、到着した旅行者からの連絡を待つ。

 ほどなく携帯電話が鳴る。教え子である鵜飼(ウカイ)の番号だが、受話器ボタンを押すと「サイさ〜ん」と間延びした金華(キムァ)の声が飛び込んできた。キムァは通信機器の類を持たない。ふたりとも楽器の演奏と歌が達者で、各地を巡っては即興演奏で路銀を稼ぎ、風のまま気の向くままに移動を続けていると聞く。サイ。呼ばれたのはプロジェクト上の仮名だ。彼らのほうは旅路のごとにニックネームが増えてゆくらしいが、サイには愛称の習慣が乏しい。名前を捻くり回すことには興味がない。だからというわけでもなく、サイという記号的でシンプルな管理名はまあまあ気に入っている。教え子からの呼びかけに、喜色を示さぬ平静な口調で答えた。

「無事到着したみたいだね。こちらも駐車場に着いた。ロビーで落ち合おう」 「はーい」

 新しい空港の入国審査でも、キムァとウカイは別々のブースへ向かったはずだ。それぞれに防疫カウンターへ誘導され、いつもこの輸入審査で時間をくう。 そのことは特に問題ではない。かれらの持ち運ぶものは特に慎重に検査されるべきだし、綿密な検査をクリアすることはサイ自身やプロジェクトにとっては保身になる。去年の春は特に人の移動が多かった。セントレアの開港を含め、国際博覧会へ向けて急加速した都市部拡大事業も丸一年経ってようやくひと段落といったところだ。もちろん、これで人出が以前と同じ程度に戻るかそれより少なくなるようでは多額の費用を投じた意味がまるでない。流出入が落ち着くといっても愛知県への外国や国内遠方からの旅行客は全体として増加傾向を維持する見込みが示されている。ただし、人の流れが小径のように定着しなければ、ほんの一時の活気もすぐに忘れられることだろう。早くも東部丘陵線の利用者の推移が物言わずその厳しさを伝えている。たとえば万博があろうと地元の人間にとっては愛知青少年公園という呼び名のほうが馴染みがある、という声が聞かれるのは、長年をその公園で過ごした人がいてこそだ。サイ自身もその一人だった。だから昔の名が今でも忘れられることなく呼ばれる。おそらく10年、20年先も。名を呼ばれぬものは忘れられる。新しい世代は前を見ている。なにか問題でも?

 サイは思案に一区切りつけて、駐車場に降り立った。とにもかくにも、人混みに紛れることはできても人目には触れたくないジレンマがようやく解消され、久しぶりの収穫へ繋がったのだ。今回は甲殻類とフヨウの一種だと聞いている。昨今は「甲殻類の生きる権利・選ぶ権利・住まう権利」いわゆる「甲殻権」の叫ばれる影響で、特にエビやカニが市場に出回ることはまずない。入手は喜ばしいことだ。彼らは今しがた保安検査と税関を抜けたところだと言っていた。通話中に聴こえた、肩の力の抜けた人々の話し声で混雑がうかがえる。彼らがターミナルのフードコート兼休憩所に吸い込まれる前に合流せねばなるまい。健啖家ふたりは既に飲み食いしてるだろうが、連れ帰った生き物たちはなるべく早く整った環境へ移送したい。

 久しぶりに会う教え子たちは相変わらずだった。「帰りの便、小牧空港じゃなかったね」「あっちのが名古屋に近いのに」「サイさんのお家春日井だっけ」「サーフィン好きでしょ? 常滑にもう一軒建てたら?」車内で遠慮なく菓子の袋を開けながら無駄口を叩く。サイは端的に説明した。

「国際線の就航はこっちに集約されたんだよ。前よりすこし時間がかかるけど我慢してね」

「便利なんだか不便なんだか分からないなァ。サイさんだって手間が増えたでしょ」

「便利になったさ。君たちが手ぶらだったら空港駅からそのままミュースカイに乗せてはいサヨナラだよ。地下街でもどこでも遊びに行くのはいいけど、お使いは最後まで責任をもってもらわないとね」

 サイはこれも毎度同じく、幼子に言って聞かせるように慣れた指示を繰り返す。この言葉も、もう何十年も口にし続けてきた気がする。

「収穫はいつも通りキソくんに渡して。そうしたら次に連絡するまで美味しいものでも食べて過ごすといい。学生の本分は忘れずにね」

 壁は一面のガラス張りで、窓の外にはワシントン州のビル群。ただし、そこに「在る」のは壁だけだ。研究員のキソが部屋に飾るのに誂え向きのガラスの花瓶を届けにゆくと、眩しいほどに白い部屋の主は室内を貫く支柱との融合を解いて出迎えた。キソが何も言わないうちに、「動物実験などしませんよ」とサファイア・ゴーストは声に微笑を含ませた。でも、単なる遊びに多くの生き物を巻き込んでいるわけでもありません、と言葉を続ける。そこには倫理なり道徳なり、行動の基準となる価値観がなくては。基準に則れば迷いは断ち切れます。自分以外の何かや誰かに負担を強いることは出来れば避けたいものです。どの程度を自分が引き受け、どの程度を他者に委ねるか。それがないと、すべてを自力で解決しようとするか、必要以上に他者を苦しめることになります。歌うように囁きながら、サファイア・ゴーストは右の手のひらを広げて掲げた。

「例えば今回は、現地での捕獲入手に学生の力を借りました。彼らは国際的なボランティア活動の一環として、また学問的な必要性について説明を受けているはずですね。少なくとも、わたしの部屋に花が飾られるとは思っていないはずです。だからその点においては、もし彼らがそのことを知ったなら、騙す形になったことを謝らなければならないでしょう」

 サファイア・ゴーストの右手は透けていた。赤い血潮と血管のあるべき色素体は見受けられず、葉緑体を思わせる緑色がゴーストの肘から先を染めていた。 「わたしはわたし自身がいかなる変化に順応するのか、試し、確かめずにはいられません。ですが、共鳴を得るために必要な生き物を、どんな形でも回収できれば良いとも思っていません。わたしがかつて自分を制御できなかった頃、ウェルテルという若者の存在情報を、わたしの〈弟〉に変えてしまったことがありました。以来、自分なりの反省の証として、正しい手順や有限の自由というものを尊ぶことにしました。故意でなかったとはいえ、彼の人生をめちゃくちゃにしたのはわたしですから、彼のために今でも祈らねばなりません。これからも祈りの時間が長くなることと、いずれわたし自身が保てなくなること、その恐怖に怯える暇などありません。ないはずだと自分自身に言い聞かせなくては」

 ゴーストがそこまで実社会に対して真摯で義理堅いのも気味が悪い、とキソは思う。キソが知るサファイア・ゴーストは、我儘で、支離滅裂で、高慢で、どこか人間を蔑んでいる。無論、それはキソの勝手な(ふだんから人使いの荒さを目の当たりにしていることも大いに影響する)印象と解釈であって、真実のゴースト像ではないかもしれない。だが像が歪むのは当然でもある。本人ならば「己とは何者か」を正しく答えられるかといえばそれも疑問だ。だからキソは、ことゴーストに関しては偏見を正す必要性を感じていなかった。たとえばサファイア・ゴーストの内面はほんとうは人間愛に溢れている、という事実を仮に知ったとしても、きっとすぐには信じないだろう。すべてをまやかしに感じるはずだ。

「気宇壮大や良し。キソさんは主張が一貫していて気持ちがいいです。いつでも外界からやってくるサファイア・ゴースト、外敵となり得る接触者。いつのまにか意識と社会に忍び込んでいる、ヒトならざるもの。わたしについてはその捉え方で間違っていないのでしょう。だからね、甲殻種たちのことも理解できるのです」

「理解……彼らが本当に侵略者だとしてもですか?」

「彼らの社会的立場というより、出自にですかね。彼らはきっと、元は誰かの幻想構造体だった。空想の世界の生き物だった。脳を介して改変因子の播種をするようになったきっかけまでは分かりませんが。わたしに筒井康隆の描いた夢(パ)探偵(プリカ)みたいな真似をさせようとしているラボの目論見が成功したとして、多くのひとの夢の世界に後遺症が残るのではないかと提言したのですよ。夢の世界、つまり幻想野と物質界とが重なる領域が消滅すれば、わたしはもうこちらに来られませんし、そうなったら困るので。でも、お偉方はわたしや甲殻種のような外部存在同士がやりあって相打ちになれば儲けもの、くらいの認識なのでしょう。そんなことはしませんけど」

 サファイア・ゴーストは受け取った届け物をまじまじと観察した。キソは、“幽霊”の透明な手でも物が持てるのだなと感心してその様子を眺めていた。だがよくよく考えてみれば、ゴーストはいつも骨のように白く肉つきも味気もない、ゴムのように“たわむギター”を手にしている。あの楽器も謎だらけだった。

「分離の兆候がみられたら次はザリガニです。ご所望の伊勢エビは甲殻権の都合上手に入りませんでしたから」 「かまいません。キソさん。この花瓶はどちらで?」 「たしか地元の陶器市で……」 「あ、成る程。あなたは瀬戸のご出身でしたね」

 正確には瀬戸に暮らす親戚のもとに数年預けられていただけなのだが、キソは訂正しなかった。代わりに、あれ、と違和感に目をこらす。なぜ、花瓶が「陶器」なのだろう? 視界に異常はないと分かっているのにごしごしと目をこする。ゴースト像は足元から消え始めていた。もっともキソはこの人物が地に足を着けているところを見たことがない。

「思ったとか考えたとか、本当に無駄な表現だと、わたしは思った……」 脈絡の欠けた囁き。幻のように失われてゆくゴーストの立像。その消え際、今度は右腕を硬質なキチン質に変化させながら、サファイア・ゴーストはその手を「ピースサイン」と自慢げに突き出していた。

  うつろう電波。

〈さあ今回も始まりました 私、小西よぞらがお送りするライド・サテライト。金曜日のこの時間はマジックアワーの反射光、お仕事学校お出かけからお家に帰るリスナーの皆様にドリ〜ミ〜でちょっとアンニュイ、なんだか不思議と癒される音楽を教えてくださいと質問しましたところ、FAXハガキEメールでたっくさんのリクエストを頂いております。んー、yobuneの「ワイパー/シガレッツ」が聴きたいってリクエストがちらほらありますね。ありがとございますねー、嬉しいね。名古屋はいま雨上がりで、ちょっと夕焼けが見えるかなーくらいのお天気ですけども、昼間はすごかったねえ。ワイパーガシガシやっとらんと前見えんかったじゃん。津市のコタローさん、“この曲は雨が不規則に降るようなポリリズムが心地良くって雨宿り中も退屈しません。雨も止んだしそろそろ帰ろっかな”、あ〜雨降ってたのそっち。歩きなのかな? お気をつけてくださいね、路面濡れてますからね〉

 受信する、目に見えない行先。

 1998年9月。青空に飛行機雲。うなるような轟音。運輸省の改革により、今年から航空業界への新規参入が認可された。大蔵省の規制緩和白書は、これまで公にならなかった無競争状態の実態に対するマスコミの報道と世論の主張によって、規制改革の必要性にかられたことを苦々しく明かしている。 来年か再来年には改正航空法の施行が予想される。格安航空会社による新規路線の開拓が日本だけでなく世界中を躍進し、人びとはさらに手軽に海と国境を越えるようになる。世界はより多くの人にとって近く、狭くなる。 鵜飼は日経新聞をたたみ、庇がわりに掲げた。近くで大学生たちがバスを待っている。私立大学では国公立より半月ほど早く後期課程が開始されていた。信州の山中にあるキャンパスなのでスクールバスを利用する学生は多く、自分の車を持っている者もあまり山道を通っては来たがらない。運転手がちらりとこちらを見て、乗らないとわかるとがたつくように乱暴な音を立てて自動ドアを閉めた。待ち合わせの時間から三十分が過ぎた。ベンチに座ったまま後方を振り返って景色を眺める。渡り廊下の向こう、ガラス張りの講堂の中はソファとテーブル、グランドピアノがあり、午後のこの時間帯は暇そうな学生たちがトランプを切ったり、安い煙草の吸殻の山を築いている。反対方向には、鵜飼がかつて通った学部棟がある。どこからも急いでこちらに向かってくる人物はいない。捩っていた上体を戻すと、いつのまにか小柄な女子が立っていた。購買のソフトクリームを舐めている。売店は講堂の傍にある。講堂方面は今の今までずっと眺めていたのに。

「あなたウカイさん?」 「はい」 「サイさん急用です、すこし待ちます」

 端的な連絡。一拍遅れて「あ、そうなの」と鵜飼が返事をしたときには、彼女は隣にちゅうちょなく腰掛けていた。では、このひとがそうなのか。鵜飼は、細かいことは気にしないことにした。そしてそれこそ、彼自身を甲殻の支配から守るやわらかさだった。  彼女は名を金華(キムァ)といった。いわく、お酒をいっぱい飲める。日本には来たばかり。しかし勉強も観光も目的ではなく、話を聞いたらすぐ飛行機に乗る予定だという。

「そっか。ワタシもお酒好きだよ。よろしく、金華」  

「では、きみたちは永遠に大学生のままなのか?」  

 黙って話を聴いていたデーレ・エレーゲは、口髭を撫でながら低い低い味のある声音でそう尋ねた。 そんなことないよ。歳を取らないひとなんていないよ。これはもしものお話なんだ、と彼女が言い、そうかそうだなと彼は納得する。「空飛ぶエビフライ」が観測され、レジェンド級のミュージシャンすらエビフライ空輸でツアーを敢行するようになるのは、それから20年以上経ってからだった。