中空中継 - 1/2

──わたしは日々、わたしでないものへと変わる。同時にわたしであることを維持しながら。ライブは記憶できなくて、たとえ頭上の存在によって計画されていたとしても、わたし自身のことを語るのに、とても物語のような編み方はできない。

 さらさらと淡い浅瀬の渡河。わたしは言わば飛ぶ鳥であり、それも飛ぶ直前の鳥であり、いまにも羽ばたこうとしている、天空の前駆性と支配とを象徴するものである。万物は鳥の思うままで、風の向きも強さも、出会うものも行く末も、朝と夜さえも変えられる。ならばなぜ一向に飛ばないのか?──

 フィッシュくんと境目口駅

 思い起こすと、〈彼〉の音楽に出会ったときも、彼はフィッシュフライを食べていたらしい。前者の〈彼〉はギタリストでボーカリスト、後者の彼はその舞台と飲食の場を提供する店のアルバイトだった。彼は、いつも行くライブバーで変なあだ名で呼ばれていることを知っていた。フィッシュフライばかり注文するから「フィッシュくん」だ。友人たちも面白がってそう呼んだ(ここでは個性と匿名性のバランスが良く思えるのでこのニックネームを採用する)。白身魚の淡白さは味付けや調理法の種類を問わず好ましいとして、彼はある時自らを指して人間関係の執着がなく魚のように淡白な質だと言っていたがどうであろう。彼が酔うと時たま繰り返す昔話がある。その日も彼ことフィッシュくんは、まかないのフィッシュフライと白飯とスパイスの効いたカレーをプレートに乗せてもらい、カウンターの隅で食べていた。フィッシュくんと出会う前の〈彼〉は、その頃まだひとりでギターをかき鳴らし歌っていた。

 1992年の冬、彼らはカウンターでたまたま知り合い、たまたまお互いのことを語り合った。ふたりは同学年で、18歳と19歳だった。どっちが早生まれだったか、聞いたと思うが忘れた。〈彼〉はグレッチのエレクトロマチックを抱え、その日はファイヤーハウスのバラードをカヴァーしていた。街は騒々しく、彼らは双子みたいに揃って浮かない顔をしていた。ミクスチャーロック、オルタナティブ、グランジ、新しい音楽が聴こえ始めていた。〈彼〉はカウンター席でドライカレーを食べ、自分自身が大人になりきれず納得できないことの多さに気が滅入る、とフィッシュくんに話したそうだ。

 1997年、〈彼〉の手には相変わらずエレマチがあり、家には同年発売されたパナソニックのラジオカセットRX-FS27があった。後にロングセラー商品となるこのラジカセは、当時の総合カタログに「本体だけで録音ができるステレオタイプ」と広告が打たれていた。〈彼〉は自らの演奏をカセットに録音し、そのデモテープをいくつかのライブバーやレコード会社に持ち込んでいたという。この頃売れていたメロディックパンクバンドのリフを〈彼〉が練習していたのも知ってるよ、とフィッシュくんはすこし苦い笑みで語った。分かっとるよ、いろいろ挑戦しとったのは。けどアイツに速弾き・早口は似合わない。

 〈彼〉の音楽は鬱々として刺々しくて過激で重かった。音に粘度を感じるその手前まで湿った、泣き声に変わりそうながなり声。光を通さない黒い水、という表現が〈彼〉の詞にもある。その低俗な一面には〈彼〉なりの道理がみてとれたから、フィッシュくんの目と耳には浅ましく感じなかった。90年代らしい、つまりその時モダンで新しかったラウドな音楽に食らいつきながら、正統派のハードロックで育った〈彼〉のもどかしさがそのまま叫びになっていた。骨太な響きは地の声に近い歌声の熱量を支える。総じて生き生きとした音楽だった。自らを曝け出すことはとてつもなく恥ずかしく、まして負の側面を表現するとなればますます苦しく、演奏し歌うのが精いっぱいでほかには何も言えない、決して舞台上で笑うことのない青年に、端的に言えば励まされたのだと、〈彼〉の勇気は自分の勇気でもあったと、フィッシュくんはそう語った。ああ自分の生活には〈彼〉の音楽が必要だ、って、そう思ったね。フィッシュくんはちいさく何度か頷いた。

 その後、〈彼〉の熱心なファンがひとり現れて、詞の和訳をした。かなり複雑な内容で、「こんなに凝った表現で、〈彼〉から独立した別物の創作みたいにする必要はないだろう」という意見のフィッシュくんとそのファンとで言い争いになったという。もちろん〈彼〉本人はそんなことを知るよしもない。2000年代には〈彼〉は徐々にバンド形式でステージに立つようになった。やけに器用なベースの若者が居てどこから引っ張ってきたのかと思ったら〈彼〉の弟らしい。

 彼らはどっちつかずだった。伝え聞くに彼らの地元のモール内にあるタワレコのジャンル別棚には、HR/HMの後ろにわざわざ「not ニューメタル」と書いてあった。彼らにはたぶん居場所が無かったのだろう。だからきっと(だからでもないのか、憶測にすぎないけれど)簡単にとはいかないまでも、地元での生き方を捨てることができた、あるいは捨てるしかなかったのかもしれない。フィッシュくんは嘆いた。もちろん人前で我を失くして泣き喚いたりはしなかった。黙ってフィッシュフライを食べていた。食べながら、ワンマンライブじゃなくていいから、100人くらい埋まったハコで彼らが演奏できる日がきたら良いのにな、と考えていた。

 まるで物語のように彼らのことを描写する。ともすれば誤解を生みかねないので今のうちに明かしておくと、書き手は彼らの友人でもなんでもない。ギタリストの〈彼〉に至っては姿を見たこともない。すべて又聞きの内容だから、その言動や音楽を如何に書き表そうと信ぴょう性は保証できない。ひょっとしたらそんな人物はフィッシュくんの空想のなかにしか存在しないかもしれない。この記録は、赤の他人が食事の席でぽつぽつとこぼした雑談をまとめたものだ。記憶があいまいなところがあり、話もよく逸れるしまとまりがなく恣意的で、文脈も目的もない。目的があるとしたらそう、どうすれば封鎖されたスクランブル交差点で人の波に交われるだろう、とかそんなようなことだ。なるべくたくさんの人間の気配を求めている。どうにも説明はできかねる、そんな物言いは読者からすれば釈然としないだろうから、この記録の目的は文中に霧散させている。どうして彼らが語ることを彼ら以外の人間が記録するのだろう、と考えたことがある。彼らは文字にして記録することにはとんと興味がなかった。たとえ彼らにその気があったとしても、きっとこちらは書記を買って出ただろう。つまり勝手に彼らのことを記録したかった。彼らは彼らの語り得ることだけを語るだろう。そうではないことを、他者の目と耳とは記憶できる。記憶が生きた記録であろうとする。とにかくいま目の前にはフィッシュくんの猫背気味な背中がある。

 駅から離れたその店は、意外にも繁盛していてモーニングの時間帯が特に混雑する。ひっきりなしに駐車場の出入りがあり、客の回転も早い。そのためあまり落ち着けず、追い出されるように喧騒のなかを蹴っ躓きながら早足で歩いた。彼はぽつりと言う。東海地方のひとって、みんなして車乗ってわざわざ喫茶店にモーニング食べに行くんやな。それはやや正確でない。もともとそうなのではなくて、一宮やら岐阜の柳ヶ瀬あたりの繊維業と商談がさかんな平地に店がたくさんできたところに、トヨタのお膝元に相応しい車社会であって、すこしドライブしながら毎朝コーヒーを飲みにでかける、という習慣が一部のひとに根付いただけだ。おしゃべり好きのどこかの喫茶店店主がはじめから話が長引くのが分かっているからコーヒーに軽食もつけたのが始まりだというが、「元祖」を掲げる店はあちこちにある。地元民がそれを自らの生態学みたいに語り出したり、モーニング文化に旅行業者や行政の観光課が目をつけたのはごく最近だ。

 その話はあまり重要ではない。みんながどうしているかではなく、フィッシュくんがどういう人間なのかを記録するべきだ。喫茶店でトーストやサンドイッチ、あるいは茶碗蒸しや煮麺がコーヒーと一緒に出てくるとしたら、何を選ぶのか、迷うのか即決か、あたりまえに思うのか当惑するのか、喜ぶのかうんざりするのか。できれば強制や誘導をすることなく、フィッシュくんに話してほしい。この読み物はそういう記録で在りたがっている。

 フィッシュくんは手にフライヤーを握っている。汗ばんでくしゃくしゃになっているが、ライブハウスへの地図が載っている。昔彼が話してくれたことを覚えている。どんなに慣れた場所でも知らない行き先みたいに思えて迷う時がある、だから地図は必要だし、楽しみにしている催し物のフライヤーやポスターは、それが入場証の役割を果たさなくともかならず持っていくんだと。道すがら己の目的地を明示しながら歩くのが好きだと。それを思い出すと、こちらまで今この瞬間が楽しくなる。

 家を出てしばらくバラックの立ち並ぶひび割れた舗装路を歩くと、駅が見えた。咄嗟に構えていたカシオの化石のようなデジタルカメラで、駅舎とホームを支える鉄筋を撮影した。これで撮ったものは実際以上に古く見える。

 東名古屋港臨海鉄道、境目口駅。「さかいまぐち」と読む。口のつく地名は京の七口などに代表されるように、参詣道や物流の起点に付けられることが多い。この鉄道路線も臨海とつく以上、臨港地区の貨物輸送を担っているはずだが、しかし、付近にはそのような場所や、そう呼ばれた歴史も残っていない。口ではなく「目口」に焦点を当てると、近いところでは三重県名張市、かの有名な赤目四十八滝の最寄駅が赤目口駅となっている。こちらは不動明王が赤い目の牛に乗って現れたという伝説がそのまま駅名にも採用されているとおり、地名の「赤目」への玄関口というわけである。それに則ればこちらも「境目」なる地名なり伝承なりが残っているではと考えるのが自然ではなかろうか。

 注意深く人気のない近辺を散策するフィッシュくんの背中を追う。彼がそこに居るのはそう促したからだ。明るく賑やかな場所が好きな人間に理由を問うてもたいていは「楽しいから」「好きだから」と返ってくる。同様にして暗く寂れた場所がわけもなく「楽しいから」「好きだから」居つく者もいる、それだけの話だ。フィッシュくんにもその傾向があった。興味を持ってくれたということはそうなのだろう。

 識別用に記されたらしき、ひらがな四文字があった。さかいま。……さかいめ、ではなく。  さか、いま、ぐち。  プラットフォームの駅名表示には境目口駅の両隣の駅名も記されている。「平坂」「風待ふ頭」といい、それぞれ「ひらさか」「かぜまちふとう」と読む。風待ふ頭駅は80年代にはすでに無人駅となっている。もとは違う名前だったが、人の居なくなった終端の駅は改名され、風待ふ頭の新名があてがわれた。

 歴史を紐解くと、風待ふ頭の以前の駅名は「佇駅」、地名を「ただずみ」(“だ”は濁音化して正解らしい)、その周辺を「いまだただずみ」とか呼んだようで、その証拠は市内から朝夕1本だけやってくるローカルバスのバス停表にみることができる。正確な漢字表記は判然としない。今田とか、もしかしたら未と書くのだろうか。今田のほうがありそうに思えるが、ざっと調べてみても今田という地名や人名がこの地に定着して駅名になるような、歴史的な由縁がない。右往左往するうちに点と点がぼんやり繋がったようで、フィッシュくんは声のない感嘆をちいさく漏らした。 「さかいま」は、「平坂」と「いまだ」のふたつの地名を合わせたものが「境目」に姿を変えたもののようだ。言葉としても成り立ちとしても、地理的特徴を内包しているように思える。つまり、「境目地域」を具体的に説明しうるものは境目として隣接し合う土地同士でしかなく、この土地を体現する“なにか”など、探しても見つかるわけがない。境目口駅のアイデンティティが両駅の狭間であることそのものであるように。

 市内は曲線改良や空港線の開業に伴って、次々と高架化の整備が行われた。再開発と施設の移転によって駅名と地名が物理的に離れたパターンは全国各地に散見されるものの、この境目口駅はたった2駅、距離にして1.5キロにも満たない路線に所属している。

 その名も佇立線。名古屋市南区を成す路線のひとつであり、もっぱら都心や沿線の工業地帯へ集結する通勤列車の一部として細々と機能する。熟語の読みづらさから、鉄道ファンのコミュニティではしばしば「孤立線」と称される。何せ沿線に住宅地が無いため、交通の効率と利便をはかるため踏切を除却するだとか、急行列車を新設するといった目的で行われる立体交差事業からはすっかり取り残されていた。それでもレールは都市部を結ぶ大幹線と血管のように繋がっている。都市計画の過程で、駅舎の建て直しくらいは予定されているのだが、どういうわけかいつまで経っても着工されない。だから移設後の座標のズレもなにも“まだ”ない。そう、まだ無い。我々は地図に描かれた路線自体が動いているなんて知るよしもない。小さく、古く、なにもない地上駅だ。

 謎は多けれど、この駅がもたらす事象については少しだけ理解している。いつもの朝の光景にこの駅が在ったなら、そこはすでに現実と異なる世界への境目を通過しているのだ。言うなれば境目口は異界の出入り口だ。

 フィッシュくんは何事もなかったような顔で名古屋駅に到着する。いつも人待ち顔の老若男女で周囲がごった返している金時計も、待ち合わせ場所の定番となったのはわりと最近で、設置されたのは2002年のことだ。そうか、アイツと初めて会った時にはまだ無かったんか。そんなことをフィッシュくんが呟く。銀時計ができたのはその14年前、1988年の4月1日。JR東海設立1周年の記念碑としての役割があった。ふたつの時計が待ち合わせ場所として使われることは当然織り込み済みだった。今では桜通口と太閤通口を直線で結ぶ中央コンコースの両端を金と銀の時計が陣取る形になっている。前をゆくフィッシュくんの足元がゆらりと不安定に揺れたような気がした。身体がなにかしら耐え難い重みにおしやられた。時間の流れが違うのがわかった。列車に乗って街に出ると、ただならない奔流を感じる。そこはすべてが流動する世界。そこに住む“彼ら”は構造物も生き物も固体だと感じて過ごすだろうが、こちらからすればすべてが流体だ。流れる時の只中にいて、常に変化している。取り残されたものだけが流れを得ず、無動と無変の形に定着する。それが固体というものだ。だから駅舎はいつまでも古いままだし、我が家はあの場所から引っ越すことができない。

 この駅ではいつも人を見失う。フィッシュくんの行き先は手にしたフライヤーにあった通り、彼の好物フィッシュフライを提供するライブバーなのだろうが、彼の背中を探すのも店に先回りするのも面倒になってしまった。彼はおそらくこちらの蒔いた種を律儀に育てて収穫までしてくれる。思うに、彼は自身で言うほど淡白で無味な性格ではない。白身魚には風味豊かな香草が合う。それはデミグラスとか赤ワインといった鮮烈な印象は無いけれども、たとえば添え物のレモンの爽やかさにふと気付かせてくれたりする。褒められるのが苦手な彼には馬耳東風かもしれないが、こんど会ったら伝えてみるのも良いかもしれない。しかし、なにが異境の禁忌に触れたのか、フィッシュくんとの〈接続〉はそれ以降途切れてしまった。

 

 名古屋大須地下街/2014年5月

 誰かが道端で知らぬ人に益体もない言いがかりをつけている。真っ直ぐに伸びる久屋大通と若宮大通を、ものすごい速さで車が走り抜ける。車種がトヨタのものだったら、その広さを我が物というように、などと表現できたかもしれない。しかし車はじっくり眺める間もないほど次々と来て、行く。地下道からたくさんの人が沸いて出て、視界を遮られる。大きなバックパックを背負って四方を見渡すひと、ばっちりとお洒落をしてキャリーケースを引き誰かと電話するひと、その傍らを通勤中の群衆が抜き去り、その後ろを若者たちが笑いながら身を寄せ合い、わざとよろめきながら歩く。

 名古屋大須は四本の大通りに囲まれるように、八つの商店街が互いを繋いでいる。四衢八街と表現したいが、それほど大きな規模ではない。直線というより面の構造をなす街だ。八百屋と昔ながらの生活が隣り合い下町の雰囲気を醸し出す通り、若者に人気の食べ歩きができる通り、サブカルチャーの吹き溜まり、電気街、古着屋がしのぎを削るファッションストリート。ひとつ角を曲がれば一変するのがこの場所の奇なる点だ。角を曲がるどころか通りの名前も変わらぬうちに、シームレスに変化は現れて、街の色は不明瞭なグラデーションを描く。そこかしこにいるものたちの、過去と未来、座標系上の動きが見える。すべての点の運行はスムーズで、自分の思い通りになる。そこかしこに見えざるものと、見ないふりをされているものは居て、街を彷徨う。

 ちょうど手前を歩いていた、楽器のケースを背中に背負った青年が歩速をゆるめる。背の高いケースが数秒後に視界を遮るのが分かり、動きをすこし早めた。タイミングの調整など誰にも気づかれはしない、こんなことで独り得意げになっているのを気恥ずかしく思う。彼は久屋大通公園で友人のバンドサポートを終えて、そのまま南へ歩いていた。結構な距離だ。名古屋では公共交通機関で楽器ケースを運ぶひとをほとんど見かけない。居ないわけではないが、見かけると人目を惹くくらいには珍しい。地上のJRや名鉄だって寂しいものである。中京圏に限ったことではなかろうが、混雑と危険を避けてハコに向かうバンドマンには自家用車かレンタカーが身近なのだろう。だから彼の背負っているベースを見て、楽器だ、と呟くひともいる。そういやさ、昔御器所のあたりでああやって歩いとるひと見たわ。なんで御器所? 知らん。今池か鶴舞あたりに向かっとったんかもねえ。

 青年の時間軸に合わせた座標の推移が見える。スクランブル交差点と商店街のアーケードに辿り着く。テナントも、四方八方とりとめない。ラーメン屋、うどん屋、ドラッグストア。ネットカフェ、眼科、牛丼屋、接骨院、メロンパン屋。こうして列挙してみるものの、通りの顔ぶれは頻繁に変わっている。2003年の再開発で誕生した雑居ビルにはファミレス、中華料理店、イヤホン・ヘッドホン専門店、クリニックモール、中古PC・ケータイショップが共存する。激安ディスカウントストアの看板にはペンギンのイメージキャラクターと並び、渋くて立派な黄金の龍が高々と掲げられており異様だ。楽器高価買取の大きな看板を掲げた総合リユースショップ、エフェクター専門店。彼は人を探しているらしい。瞳から光が溢れ出し、眩しそうなまなざしをしている。リユースショップの隣にある喫茶チェーンの前で、ちょうどやってきた黒髪の女の子が手を振り「すずくん」と青年を呼ぶのが聴こえた。

 角を曲がったり、戸を隔てるたびに時代が異なる。この景色は幻視でない。古いものと新しいものが同居している。彼らは喫茶店を出て、携帯端末を取り出す。表示される2014年5月15日の数字。万松寺通りの服屋は目が痛くなりそうな原色のパンクファッションを前面に押し出す。真っ黄色のレコード店の脇には気だるそうにタバコを吸う店員がいる。店員も同じような携帯画面を眺めている。ワゴンセール中の円盤たちはうっすらと砂か埃か分からないものを被っている。店内には爆音で洋楽が流れる。日によって法則性がある。今日はチェリー・レッド・レコードだ。大人しそうな若者ほど店頭で立ち止まる。商店街を抜けると、大通りの片隅でひっそりと口を開ける地下道への入口。大須地下街、通称「オースチカ」は、もともと東山線の混雑緩和のためにバイパスとして結ばれた名城線と桜通線地下通路の延伸上にある。管理するのはオースチカマチ株式会社。

 青年たちは無言で歩いていた。ふと、まりさんと呼ばれた女性が、岐阜で地域おこしするつもりはないん? とちいさく尋ねた。すずくんと呼ばれた青年は、インドの雑貨屋を眺めてすこし考えてから口を開く。わからんけど、助けるとか癒すとか嫌やからさ。やりたくてやっとるのにだんだんそっちが目的になるやん。役に立つってめちゃくちゃでかいことやろ、頭ん中とか社会に占めるウエイトが。役に立たないかんって思ってまったりもするやん。それ話してくりゃいいやんか、わざわざあたしがアナログなメッセンジャーにならんくても。話す暇無かってさ。嘘や。嘘やない。

 揉めているのかと横目で彼らをうかがい通り過ぎる人もいるが、彼らはいたって穏やかに並んで歩き、地下に潜る。看板もない、何屋だかわからないドープな印象の店舗たち(占い屋とライブハウスらしい)の横に、年季の入った古い鉄板を熱するたこ焼き屋や、やけに内装が白くて文字情報のないガラス張りのスイーツ店、店の前に水槽とラジオと椅子が置かれた多国籍バー、和小物を取り扱うしぶい土産物屋、はてはまだこのあたりでは珍しいフェアトレードコーヒーやチョコレート、海外製の雑貨などを詰め込んだ手作り感ある小さな店、小規模なライブステージ、とにかく区画に入れられるだけのものを入れたような、賑やかさよりも雑然さが目立つオースチカをひやかして歩く。

 青年は続ける。バンド続けるとかさ、祈るとかさ、おれには必要なんやけど、それをそのまんま説明してもぜんぜん分かってもらえーへんくてさ。で、ある時唐突に、あーそうか、分からんひとに分かってもらおうとせんでもいいわ、って思ったんやて。でもさあ、おれ、そもそも説明するの好きなんやんか。説明好き。分かってもらうの好き。口が減らん。ほんで、喧嘩になったんやろ。それは知っとるけどさぁ、でも、良いもんやよ? 地元のお祭り盛り上げるの。若い人増えりゃじいちゃんばあちゃん喜ぶし。大袈裟でなしに言うけど、すずくん、戻ってくるの期待されとるで。うん。分かるよ、やったらやったで楽しいんやと思う。それに、人が喜ぶのを嫌やと言っとるわけではないんやわ。“嫌”ってはっきり言ったでさっき。そうやな……おれはもうちょい、アウトローな立ち位置がいい。

 期待に応えないことは悪いことだろうか。青年の中学時代の同級生に羽柴という生徒がいて、よく彼を羨ましがっていたのを覚えている。羽柴は洋楽が好きで、でも理論やテクニックとしての音楽は苦手だった。良い奴だったがたまに、誰にも何も期待されない人間もいるのに、などとやっかみをぶつけることもあった。青年に言わせれば、持ち前の才能がすべてではないし、期待のグレードもさまざまだ。環境に合わせて望むものを変え、望むものに合わせて環境を変え、パズルのようなことをしているうちに自らの適所が分かるようになった。少なくともそれは自分の努力だというのが彼の主張だ。そして現状は変わり続けているので、自分というピースを変化させるために手を動かし続けるのだと。

 学生時代にぐうぜん再会した羽柴と、ちいさなろうそくの明かりを守るように向き合って、かつて才能ある者を妬んだ者同士、頷きあったことを思い出す。「立ち止まっとっても時間は止まらーへんし」 と、青年は言う。そうかあなたたちの時は流れるのか。靴下の裏側の絡まった糸くずのようにならず、整然と流れる川のように向かってゆくのか。そんなことを思う。ただし、怨みつらみに身を任せてはならない。こういうのは「思うだけ重うなる、実が生る、身が堕ちる」と祖母が言い言いしたように、実際に事を起こさなかったとて人知れず実害を被るものがあるのだ。有り体に言えば鏡に罅が入るとか。誰が気にするかというものではない、己の品位を損なわないために。いつものように耐えがたい流れなき流れ、無風の白昼を耐えたら家に帰るつもりだ。ただ冷静に己の例外を見出した。日は階段なりや数多の可能性の轍が過去と未来へ走ってゆくのが視える。無数のパラレル。すべてが絶たれた道だと分かっている。そのなかのひとつを確実に選び取る夢想。この実直さはなんら実を生さない。もともと、彼らのことは知っていて、中途半端に興味があった。そっとしておくほど相手を尊重する人間関係が培われていたわけでもなく、赤の他人として過ぎ去るには後ろ髪を引かれるくらい。つまり気まぐれを起こしたとしたらその時だった。

 

 洎夫藍靚子の館

 カーボンファイバー製の三脚を担いだ女がドラマみたいにハイヒールを鳴らしながら事務室のドアを開けた。小さくて分厚いテレビに朝の情報番組が映っている。五月にしては異例の暑さだと、気象予報士が抑揚を大きくして語る。彼女と二言三言ことばを交わして、入れ違いにもうひとりの女が出て行った。三脚の彼女も冷凍庫からチョコミントアイスクリームと保冷剤を取り出すとすぐにどこかへ行った。そうしてあなたが来るまで誰もここへ戻っていないのだと伝えると、とても小柄で利発そうなベーシストは、私立探偵のように手を顎にあてて、その三脚のひとはうちのキーボーディストのスイさんで、もうひとりはここのスタッフさんすね、と空いたデスクを指差した。ブロッコリーのような髪が特徴のそのひとについてゆくことにした。あなたを何と呼べばと尋ねると、コニーって呼んでくださいっす、と返ってきた。地下鉄の最寄駅からいつもの地上連絡口に出ると、ちょうどオーダーメイドの靴屋がある。そこを目印に駅とは反対方向へ向かって右折すると、しばらくしてなにやら胡乱な看板や商店が立ち並ぶ。コニーはその混沌へ続く小路を素通りしようとして、ふと立ち止まった。一刻も早く再び地下に潜りたかったがそうできなかったのは、取りも直さず看板持ちをしていた人物と目が合ったからで、のみならず、彼はコニーの所属するバンドのメンバーなのだった。五十鈴サン、なにしてんスか。このひととバンドやってるんですか、と尋ねる。ハイ、と返ってくる。 占いいかがっすかー、と決まり文句を発し、鷺山五十鈴はおう、コニーやんけ、と小声で挨拶した。彼はベーシストで、コニーもベーシスト、3つ歳の離れた先輩後輩の間柄らしい。五十鈴の持つ看板には「洎夫藍靚子の館」とある。洎夫藍靚子(さふらんしすこ)は「さすらいビル」の中二階に牙城を築く占術師の名で、根城はオースチカのどこかにあるらしいが、職業の貴賤とは関係なく正真正銘直感的に怪しい。看板には「あなたの知らない血液型占い」の一文が他の何よりでかでかと書かれ、通りすがる者の知性を全力で蔑ろにしている。占いの根拠も水晶にタロットにルーン文字に易学に風水にと、まるで統一感がないとか、何を占っても金運に誘導されるといった噂もある(ただし噂の出所も「床をビールで消毒する」と噴飯物の迷言が飛び出すスポーツバーであるから、信頼に値するとは言えない)。

「まあでも、そっすよね。こんなバイトでも、って言ったら失礼っすけど、この前買ったフェンダージャズベのレフティ、結構しましたもんね。自分もペダル新調したんす。まだ接続順メチャクチャでボードもぐちゃぐちゃなんすけど、でら楽しい。でも、ベスパの維持費でしょ、自動車税でしょ、おまけに自分こんど平針なんすよ。あーあと美容院も。今月バイト掛け持ちせんと」

「結局ワンオーナーの中古美品や言ってもカスタムとリペアあわせてえれえ額になったわ。ぜんぜんコールドの配線ちゃんとしてーへんくてよ。よくあるとか言われたけど」

「ガリガリいってんのそのままでよくないすか?」

「ほんなことあかすか。ちょお待ち、一応仕事中やであとで話すけどなんの用」

 用はないっす。帰ぇれ。占いの呼び込みってどんくらい貰えるんすか? 五十鈴は答えなかった。会話をぼんやり聞き流す。赤門に向かう知り合いを見つけ、彼らのそばをゆっくりと離れる。

 真の物語について語ろう。なぜなら彼らは実在する。ここからはフィクションですと口上を述べねばならない。そのことを思うと瞼が痙攣する。こめかみから眉のあたりの皮膚を指で軽くおさえながら、洎夫藍靚子が佇んでいた。そうしていると彼女はひどく神経質そうに見えた。彼女の呻きに共感する。彼女はいくつかの星の巡りについての独言を呟くので、それにひとつひとつ頷きを返す。彼女もようやく頷き、この先を語る準備ができた。洎夫藍靚子は客がくると、とはいっても滅多にこないのだが、少女のような夢みがちな瞳をあらぬ方向へむけて口を開く。ただしこのひとは自演するほど無邪気な空想家ではないのだろう。ひとつの人格を完備するためには、少なからず演ずる必要がある。彼女の言動には社会生活上の不自然さや違和感がつきまとうが、これ以上彼女を詮索するべきではないとも思える。わざわざここで文字数を食う必要はない。彼女について知りたければGoogle検索すればいい。声が響いている。煉瓦造りの雑居ビル、その中二階。踊り場の隅の彼女は常に本をテーブルに置いている。水晶玉やトランプとともに。それらはだいたい古本で、文字だけの本の時もあるし、漫画の時もある。

 岬がそこを訪ねた時も、彼女は本を読んでいたという。ホームページ見て、メールで連絡した者なんですけど、と岬は切り出した。占い師はああ、とお辞儀をして微笑んだが特になにも言わない。岬は、ここで相手が無言になると思わなかったので会話の取っ掛かりをみつけられず、5秒ほど迷いの時間が発生した。彼女の手は空中でトランプを撫で、現実の人間も、演者と舞台と目撃者とが揃って、お芝居のように生きる瞬間があるのです。物語が現実のように感じられることがあるように。そう述べた。岬は無理やり舞台に立たされているような気分で、どこかに仕込みがありそうに思えた。

「あなたがどこの誰かなんてお訊ねしません」

 まるで時計のように、ある建物を中心とした円形の範囲内で、なにかが起こっている。すぐ近くです。地震かしら……でも厄災の兆しはない。ではなにかの事件かもしれない。あなたは、なぜかそれを解決したいと願っている。あなたの手に負えることだと考えている。もしくは、自分のせいだと。

「お名前は?」

 訊ねないと言った矢先ではないか。しかし、事を解決したいのは間違いではなかった。岬、と答える。図星をさされた胸の淀みから、でもなく、怪しい女になにがしかの期待をしたわけでもなかった。岬は、人と対面で話すことが久しぶりで、ただただ会話に飢えていたんだよ、と後に語った。メールでは時間と場所の都合を示し合わせただけだった。会ってみてやはり占うのを断って帰るということもできた。いちど答えると見込み客と認定されたのか次々と質問が飛ぶ。そのひとつひとつに律儀に答える。 岬さん、ご出身は? 南区。生年月日は? 85年の8月28日。水曜日の先勝ですね。乙女座の土のエレメントにぴったり。土剋水の作用によって、生まれ日に課せられた午後の凶兆は堰き止められているのです。この幸先の良さというのはこれからの人生にも関わってきますよ。

 凶兆を堰き止めるどころか、その他すべてが停滞しているところだ、と返す。靚子は微笑みを崩さず、縁起がいいんです、毎月28日は。大須も縁日ですし、と続ける。

「なにかお好きなものはございますか?」

 単なる世間話だと彼女は言った。好きなもの。好物と称して良いものか迷う。しかしこれ以外には思い浮かばない。いつも、いつも、いつのまにか何かの紙片を握っている。そしてそれが何かを知っている。これは、手書きで英語の歌詞を書き写したものだ。自己流の翻訳を書き添えている。洎夫藍靚子に見せる前に思い出す。おおむねこんな内容だった。

〈俺が居るから、俺の認識するこの世が存在する。この世界は他者の認識世界との終わりなきすり合わせ、絶え間なき答え合わせであり、俺は他者の一部、世界の細胞の一部を構成する。他者あるいは俺の欠落は、世界全体が空想上の無形の総体であり、一部こそが全体を司る実体だということを個の認識の消失をもって確定するギミックだ。つまりこの世は知られず有限である。俺は刺激され続ける神経の塊、本性を眠らせ続ける脳みその外骨格。〉

 ページをめくるように裏返す。

〈個の消失を認識するのは他者だ。個の記憶は独り静かに知られず消えるだろう。幸いにもそれが救いか否か訊ねられる俺は居ない。世界にちらばる真実は雨粒のようだ。無数の海は雨の震えによって凍えることなく温められる。微動が止まない。いつかすべてが静止する氷の世界を、さらなる意識をもって小舟で漂う者があるとすれば、そいつは崇高でも賢明でもないが、生まれついて鳥に近い瞳を持っているのだろう。〉

「誰がこれを?」

「翻訳したのは僕で、この曲を作ったのは、Puzzlyzeというバンドです。歌詞を書いたギタリストが、きっとこの近くに居て、一度会いたくて。だけどどうしても見つけられないんです」

 見つけられない? はい、というか何か……言葉に詰まる。特定のバンドのライブだけ観に行けないよう、何かの作用が働いているような気すらする。岬はそう言おうとしたが、いざ口頭で説明しようとするとそんなはずはないだろうという思いに囚われ、途切れ途切れになってしまう。

「いえ、たぶん、僕自身が探しているつもりでも無意識に見つけないようにしているだけで……」

「そんなに悩むほど憧れているのですね」

 招かれたわけでもない場所に行くのに抵抗を感じても、強い刺激を受けることができるはずです。あなたはその場所が高度に文化的であることに驚くでしょう。洎夫藍靚子は「たとえば、生活のメイクアップ」と述べた。それで言いたいことは終いだといわんばかりだった。

 岬はややあってこう続けた。僕と彼のことを、占ったりなんかしないでくださいね。

「もちろん。お代も頂いていておりませんし。それに、既に進行している物事や人の気持ちに対して、占いは無力なのです。そうなれば、占い師に出来ることは離れて見守ることだけ」

 お話して頂き有難う存じます。低血圧の人間がホットチョコレートを飲んで目覚めたかのように、最初とは打って変わったしっかりとした口調で見送られる。彼女と話すべきことはきっとこれで全てだ。階段を降りようとすると、最後に呼び止められた。立ち入ったことを申し上げるようですけれど、と。

「その学生服、よくお似合いですけど……いいえ。今日は詰襟はお暑いんじゃないかって」

 

LAB/2025年1月

 それは今から10年前。小西あきらことコニーは焦っていた。まだ出勤するには早い昼下がり。この世に同じものはまたとないSPレコード、つまり生まれながらのダイレクトカットレコードを勤務先まで運搬すること。店長──ボスから託されたミッションだ。くれぐれも丁重に扱うよう忠告されている。ボスと呼ばれるゆえんは缶コーヒーの銘柄になぞらえて昔のバイトが名付けたものらしい。ボスは、コニーのそそっかしい性格をよく知っていた。その上での頼み事だ。傷つきやすく貴重なものなら自分で管理すればいいようなものである。しかし、これは信用回復のための儀式なのだった。  ライブバー・NINZENの二階、留守気味なボスの私室でもあり演者の控室でもあるせせこましい部屋で除湿剤の交換をしていたコニーがとあるアナログレコードを割ってしまったのが一昨日。それが不運なことに割れやすいSPレコードだった。その日のうちに謝罪の電話とメールを送り、ボスからは割ってしまったものは仕方がないから、シェラックの破片で怪我をしないよう片しておくようにという指示があった。一夜明けて、もともと非番だった昨日。コニーは憂鬱な気分で寝巻きのまま過ごしていた。天気も下り坂で外出する気にはならなかったのだが、それが悪手だった。ミスがあった次の日は忙しく動いているほうが失敗を思いださずにすむ。正午近く。インターホンが鳴ってもすぐには起き上がらず、しばらくドアを眺めていた。続けざまに人の声がした。

「おーい、おるかな。つか寝とる?」

「……えっ、ボス!?」

 待ってください、と蹴つまずきながら戸を開ける。浅黒い肌に長髪に髭面にサングラス、サイケデリックな柄シャツの、いかにも怪しいいつものボスが立っていた。踵をふんづけたスニーカーなんてやんちゃすぎるキャラクターの持ち主だが、足のサイズがあまりに大きいためスニーカーをつっかけ代わりに履いているという。コニーはNINZENで働き始めた2年前から、スタッフの皆でバーベキューや飲み会をするたびに送迎をしてもらっている。ゆえにプライベートはダダ漏れだ。

「はい、ゴハン。モーニングの茶碗蒸しに鬆が入ってまったもんで、からあげ仕込んで即席親子丼にしました。温かいうちに食べやあね」

 元気だして今日のシフトもよろしく、とラップで巻かれた丼が差し出される。

「どうも……あの、レコードすみませんでした」

「うん、その件で頼み事があって」

 軽い口調で取り出されたのが例のラッカー盤だった。太陽と月をモチーフにしたような異国情緒あるイラストの描かれたジャケットだ。紙質の劣化をみるにかなり古い。ボスによれば、ここにくる途中、ブツを届けにきた知人とちょうど出会してレコードを受け取ったものの、これから覚王山にある2号店へ至急向かわねばならず、取って返す時間がない。丼飯を届けるついでにコニーにお願いしちゃおう、ということだった。

「分散保存として、テイク違いを元エンジニアの友だちが持っとったんだわ。これもコピーはないでよろしく頼みます」

 今夜来店する人物のため。割ってしまったレコードに収録されていた楽曲を聴いてもらうことになっていたという。当初の予定は変更となり、急遽借り物を手配することになった。ボスはそのために今朝まで店をあけていたらしい。コニーは思わず丼を落としそうになった。あのレコードは薄暗い部屋でただ眠っていたわけではない。聴きたい人、待っている人がいたのだ。当たり前のことなのに血の気がひき、このときようやく何をしでかしてしまったか実感した。タイムリミットは今日の出勤時刻。蓄音機など諸々のチェックや調整をすませるために、いつもより早く到着せねばならない。じっとしているのも性分ではなかったし、雨が降り出しては大変だ。今から向かおうと決心する。愛車のベスパに乗ろうとしたが、アパートの駐輪場から通りへ出るためには人がすれ違えない細長い路地一本しかない。それで、レコードを寿司折りのように荷台に括り付けて運ぶことは諦めた。車体の揺れで割れてしまわないとも限らない。そもそもどうやって持ち運ぶのが正しいのかわからなかった。結局、大きめのトートバッグに入れ、ぶつけないよう大事に抱えて徒歩で移動することにした。電車に乗る際もいちいち気をつかうことだろう。特に地下鉄の煩雑さは想像するだに気が重い。地下鉄池下駅まで徒歩10分。歩き始めたそばからさっそく車にクラクションを鳴らされ、慌てて道の端に寄った。

 何しとるの? 路肩に車が停まる。窓が開くと、知った顔がサングラスをずらして訝しげな視線を送っていた。

 ふうん、アナログレコードねえ。コニーを助手席に乗せた黒のクラウンは日泰寺の方角へむけごく緩やかに走っている。運転手の早川翠ことスイが、ちらりとだけその年代ものに目をやった。あと、なぜかコニーが携えている空っぽの丼にも。レコードねえ。ふうん。意味のない相槌が繰り返される。今日は祝日。公休のスイは日課のジムに通って自由が丘でランチをすませ、今池あたりでビールをきめようとしていたらしい。

「けど店長さんもちょっとばか人が悪ない? 今後気をつけてーって言ってまやいいだけのことだがね」

「でももとはこっちが悪いら。お金には代えられんけど、ソンガイバイショー、全額請求されたらきっと目玉とびでるじゃんね。それを給料から引く程度で済ましてくれたんだで、正直そこは助かったんだって」

「監督責任ゆうか、自分のレコードの管理くらい日頃から自分でしとかなかんかったって負い目かもしれんね。……それはそうと、私も一杯飲みがてら聴きたいわ。このまま寄ってもいいかね」 「もちろん。19時からこのレコードの関係者のひと? がライブするらしいんで、ぜひ」

 Puzzlyzeを結成してからというもの、スイはすっかりNINZENの常連となっていた。スタッフとも顔馴染みだ。  厨房で仕込みをしていた副店長の青柳宇一郎はあからさまに呆れた笑みを浮かべる。彼は偶然にも鷺山五十鈴と同級生で、小学校から高校まで同じだったというのだから世間は狭い。続いて出勤してきたのはコニーの後輩、ヘレナ・コバヤシだった。

「お疲れ〜」

「なんでお客さんが開店前にスタッフより先に店内に居るんすか」

「ちゃんと裏口から入りました」

「そういうことやないて」

 ヘレナは音楽好きで、ここの他にもライブハウスでのバイトを掛け持ちしている。 「早川さん、今日のライブ目当てですか?」 「ううん、何も知らんと来た。どんなの演るの?」

「あたしたちもよく知らないです。ボスの知り合いみたい」

 果たして日が暮れる頃にやってきたのは一人の男声シンガー兼ピアニストで、店内でも洒落たハットを被っていた。女もののピンクゴールドのネックレストップが繊細にきらめく。整えられたくちひげに雨粒がついていた。窓を見ると確かにぽつぽつと雨が降り始めていたが、その人物は慣れた様子で準備を終えた。男は時間になるまでカウンターで軽食をとっていた。遅れてやってきたボスと二言三言交わした会話を聞くに、若かりし頃に楽友と残した記憶の再生を心待ちにしていたそうだ。全体の照明が暗すぎない程度におとされ、蓄音機が鈍く光を反射する程度にほのかにライトが当たる。開店前に皆で確認した位置調整は完ぺきだった。セッティングが終わると、ディスクの回転に合わせてダイアフラムから伝わった振動が拡大される。ホーンから流れ出すノイズ混じりの音色と歌声に聴き入るように、店内の会話や物音のボリュームが一気に絞られた。レコードから再生される以外の音が消えたかのように。音と詞のひとつひとつが胸に刺さるようで、コニーの目頭はかっと熱く、背筋は寒くなる。他人の大事なものを壊してしまったのに、お咎めが軽く済んだことにホッとしていたことを恥じた。暗く静かなところで流れる音楽はコニーの心にひりりと滲みた。照明が明るくなり再びドリンクや料理のオーダーが入り始める。それに伴って、音量控えめな有線放送のBGMに切り替わった。けれど何物もコニーの気持ちを救うには至らない。お詫びのつまみを配膳しながら改めて頭を下げると、ピアニストはゆるゆる片手を振った。

「そんな気にしやんと、頭あげてください。旧知のよしみで任善さんに保管して貰って、それきりやった僕にも一因はありますから。形ある物はいつか壊れますよって」

「でも、大切な思い出でしたよね」

「もう一枚の手配までしてもろて無事聴けましたし、新しく収録する機会をもらったと思えば。別々に活動しとると、集まろうとか言い出すにも理由が必要になっちゃうんで。嫌ですね、若い頃はなにも言わんでも集まって練習したのに。まあでもそいつらと残せたのも結局この音源くらいで」

「あの、店長と話して、やっぱりお手伝いできることはしたいなって」

「大丈夫ですよ。いまはコストも昔ほどかからんそうです。新しい音質向上技術も発表されとって、工程が少ない分高音域のロスも少ないとか」

 それよかあとで演奏するんで、店員さんもよかったら肩の力を抜いて聴いてくださいね。そう声をかけられ、コニーは再び頭を下げる。ひと呼吸してホールを見渡すと、スイが手招きをしていた。

「ちょちょ、コニー」

「ビールおかわりすか?」

「いや、あのひとってさあ」

 ぱりーん、と嫌な音がした。コニーの耳にはやけに大きく響く。だから誰よりも早く反応できた。わあ、ごめんなさい、と客が声を上げる。ジョッキの破片がちらばっていた。コニーはおしぼりと箒を持ってかけつけ、お怪我はありませんでしたかとやわらかく尋ねた。NINZENのバックヤード、手洗い場やロッカーの戸を開けた目立つところには、「皿を割らない人間はいない」という豪快な筆書きの張り紙がある。よくあること、割ったものは仕方ない、誰でもミスはする、怪我を気遣えますように。もちろんそれは皿に限らない。割れてしまった、無くしてしまった、壊れてはしまったけれど、もう気にしないで。この後を楽しんで。ここはそういう場所だ。そう伝え、そう思うことが何より肝要だった。でも他人にはいくら寛大になれても自分自身はなかなか許せない。19時。マイクが用意されたピアノの前、そしてアコースティック・ライブ用の低目の舞台にそれぞれ奏者が着席していた。沈黙をもって、役目を終えた蓄音機が彼らを見守っている。コニーが無事届けたSP盤もそっと傍に平置きされていた。記憶の再生は為されたのだ。記録は生身の記憶貯蔵庫である脳へ引き継がれ、新しい音溝を刻む。コニーたちはカウンターの裏からステージへ大きな拍手を送った。

「それのどこが怖い話?」

「コニーさん、後日その人に連絡入れたら、円盤のことも楽曲のことも憶えとらんって言われたらしいです。勘違い、記憶違い、人違い、そのどれでもなくて、ただ円盤の存在だけがみんなの記憶から消えちゃったみたいだって」

 OSU LAB(大須エルエービー)。サイバーコアを空間のメインテーマとした地下ライブハウスだ。同じくその地上にあるラッキーアクシオムビーツを事務所とする。一昔前はメタリックとガラス張りを基調にしていたが、改築して以降はシリコンとプラスチックのクリーンルームを彷彿とさせる内装に様変わりしている。ジュンの話はホラー調という体ではあったが、現実主義な彼女の語りに人を脅かす気色は無かった。それゆえに、語り終えた後にじわじわと聴き手の心に不穏を染み出させる恐怖映画のラストのような余韻を残していた。

「でもまあ何かの間違いには変わりないんでしょう」

 劇場型ポストクラシカルインストバンド・通称アチェグラの面々は久しぶりに膝を突き合わせ、バーラウンジで各々にドリンクを傾けていた。ポストクラシカルとは名乗ったことがないものの、いつのまにか他称の略称が通称となっている。このように油を売っている暇はないはずだが、端的にいえば身動きがとれない。どういうわけかライブハウスから出られず、通信端末の類も一様に圏外の表示、さらには電波時計の表示も怪しい。電波障害とセキュリティシステムの異常を受け、ハコに集った人々は一時は騒然としたものの、現在は表面的には平静を取り戻している。唯一酒に強いのは最年少ドラムスのカンザキジュンで、カルヴァドスやアップルブランデー、スイートベルモットを用いた華やかな香りのカクテル、その名も「チューリップ」を嗜んでいる。彼女は「これ甘酸っぱ」と味の感想を挟みながら、さほど面白おかしい脚色もなく、伝聞のさらに伝聞を語り終えたのだった。金沢と富山からそれぞれ名古屋へやってきてライブを敢行した残りのメンバーふたりは、飲めない酒に酔った心地で眠たげに相槌を打った。富山から来た宇野千羽は、北陸新幹線「つるぎ」で金沢まで行き、メンバーと落ち合い交代で自家用車を運転してここまで来た。北陸道を経由したため走行距離は長くなったが、勾配がきつかったり単一車線だったりで低速になりがちなジャンクションを避けた結果、東海北陸道経由での予想時間より30分早く着いた。宇野はそういう“最適回路”を計算するのが好きだ。一方で、中二階といえばこのライブハウスもそうだな、とヴァイオリニストの立山ソーイは自分の足元に落としていた視線をやや持ち上げた。バーラウンジからはメインステージが見え、ホールでライブ、バーで物販やDJなどの対応が出来る。PAミキサー、メイン&サブスピーカー、ウーファー、レーザーとミラーボール照明、プロジェクター、吊り下げ式壁固定スクリーン。バーにこれだけの面積と設備を充当できたのに、なぜ花形のメインステージをわざわざ構造的に軟弱にしたのだろう。彼はもっぱらこの疑問に強い関心を持った。このステージはよく見ると床に接しておらず、ごく低位置でだが中空に固定されている。いわゆる工場用中二階のパレットステージをペンキで好き勝手に塗装したような見た目だ。耐荷重は立方メートルあたり500キログラム相当の特注品だろうか。でもそれではうちのような重装備の要塞バンドが載るのは無理だな、と立山はつぶやく。重厚感を増すためか基調は黒で、天井の剥き出しのダクトや黒塗りの壁とも調和している。床にアンカー固定するか否かが「増築」とみなされるかどうかの基準であり、コストの削減とともに消防法や建築基準法53条の建ぺい率にも関わる、とテスト前の学生のように覚えたことを思い返す。しかしこのような「段差」に近い事例は見たことがない。中二階は、狭い面積に有用な空間を生み出すための工夫だ。低位置で保持する意味はそもそもない。頭上には広さを感じる。地下のはずだがエントランスホールの天井は左回転の渦を巻いており、ソフトクリームやヤドカリの貝殻を思わせる。立山の視線を追い、大日方が頭上を右の人差し指で示した。

「天板の設計にはモデルとなった生き物がおるんです。ヨーロッパモノアラガイという貝なんですが、もし興味があれば、これを見てください」

 折り目と皺だらけの新聞紙が差し出される。ゲノム編集技術を用いた実験で、たったひとつの遺伝子が、貝殻の右巻きと左巻きを文字通り左右する鍵だったことが解明されたと報じられている。人間にもまったく同じことが言えるわけではないが、少なくとも同様の記事はちょうど2019年の今日、中日新聞の朝刊27面にたしかに記載されていた。バーラウンジには、いつも目立たない隅の席でひたすら角ハイを呷っている人物が居るのだった。その人物こそ、立山を文藝同人サークルの活動に誘った張本人だった。

「……その遺伝子の研究に触発された建築なんですか? ほったら、ここは築何年……」

「立山くん、みずかけんどきま」

 余計な口を出すなと言われても、すべてがおかしい。天板の設計は地上に先端が突き出ていないと不自然だし、この建物は少なくともここ10年くらい手つかずで改築などしていないはずだった。

「いや、大丈夫ですよ」

 人物は意外にも恵然と受け応えた。話しかけられて態度をすぐ変えたところを見るに、酔っ払っているとも考えにくかった。事の発端は、グラスの中になにか破片が落ちてきたと報告があったからだった。宇野と立山もカウンターや床を注意深く観察して、隅の方にそれを見つけた。剥がれた塗料のようなペラペラとした破片で、黄色みがある。重いガラス戸が開くと、その間だけロビーの音や声がよく聞こえた。入ってきた作務衣姿の八竹ほたるは、中部地方の神出鬼没な和ロックお祭りバンドを自称する、ワノーチのメンバーだ。八竹は気怠げに戸を押しながらも、いつも通りの重い瞼に半分隠れた瞳で目敏く破片に気付く。「なんか剥がれたんですか?」と尋ねた。立山と八竹は互いに気がつくと同時に「おう」と声を上げたが、特に喜色を表すでもなく、それ以上の挨拶もない。ちょうど良いわ、これ見られ。なんやと思う。うーん。有機素材っぽくないけ。画材とヴァイオリンのニスとしてのガンボージ繋がりで、共同で調べ物をおこなったことで縁のある立山と八竹は、しばしば塗料や色彩について談議することがあった。会う機会が少なくてもその度に濃いお喋りをしてるせいか、気のおけない旧知のように接しているようだった。

 天井の設計図を、手元のノートパソコンを回転して示される。  「ここまで読んでどう。気になるところあるかな。ジュンさん、遠慮せんと言ってみて」

「うーん……比較的簡単な文章だったところに、恵然と、っていきなり出てきたら意味を理解するまでに読書のスピード感が削がれる気がします」

「成る程。あとは?」

 立山に原稿のデータが入ったタブレットを返しながら、ジュンが所感を述べてゆく。

「場面が変わったのか回想に入ったのかも初めはよく分かりませんでした。でも立山さんの小説は曲を聴きながら読むものなので、今の段階では分からなくて当然かもしれません」

「いっそ転換とか回想とか書き出しにいれちゃいますか」

 大日向がくわえたタバコを揺らして割って入る。

「それを明示的に書くのは、どちらもあまり一般的な表現じゃないと思うな。立山くんの作風では。言い回しにも相性があるから」

「説明せんといかんような言葉も使わんほうがええか」

「場合によるけれども、そうもいかない。あなたの文章は小説でもあり詞でもある、多くの役割を持つ文章だから。音楽を補強したり、時には導いたり、あるいは書くことの意味について言葉にしづらい結びつきを感じていたり。複雑さや硬度も、兎にも角にも必要だから書いているわけでしょう」

 立山は無言で頷く。上手くいかない思いのままに髪をくしゃくしゃにしたかったが、セットされたポンパドールを崩すまいとして頭に手をやったまま軽い溜め息をついた。すこし疲労しているようだった。話の種が尽きたのかその場の全員がなんとなく黙る。ライブハウスが突然の電波遮断と全扉のロックに見舞われてから、もうすぐ4時間が経とうとしていた。

 

 レスカちゃんと鵜飼舟

 2002年8月31日。数字に意味はない、ここではものごとが時則に従うことはないから。とにかくその頃、彼は28歳で、とてつもなく焦っていた。場所は今池の地下ライブハウス。壁いちめんにステッカーが貼られ、塗料が吹き付けられ、ヤニが付着しており、歩くと靴が床のインク汚れで黒くなる。音楽とお洒落好きの知人は「新品の靴は履いていくな」と言い、先輩のバンドマンは「箔がつくから靴はわざと汚せ」と言う。もっとも、汚れが気になるほどいい靴を履いてはいない。ロッカーにはなぜか蛍光色の人体骨格模型。大腿骨には油性ペンで【かけてXXXXXX-XXXX】と10桁の携帯番号。その下に別の誰かが書き殴ったとみられる罵倒。人体模型の配置は毎回変わっていたので少しうざったかった。汚いピンク色をした裸足の足跡が避難経路を示している。よくその避難経路の壁際でポケベルをいじっていたギタリストがいる。網タイツと黒い革のジャケット、ハッとするような金色に染め抜いたロングヘアがトレードマークだ。当初は彼女の居場所があまりにも遍く神出鬼没で当惑した。彼女はギターとベースを取っ替え引っ替えしているようだった。しばらくしてようやく彼女らが双子の姉妹で音楽活動をしているのだと勘づいた。服装の趣味もそっくりだった。よくよく見れば違いはあったのだろうが、初めからよくよく見るつもりは無かった。ギタリストは、いつもバーカウンターでレモンスカッシュを注文するから「レスカちゃん」と呼ばれていた。彼女らを見ないようにしながらもその音楽を知りたいと思い、たった一度だけ彼女らの楽曲を聴いたことがある。『砂城(すなしろ)』というタイトルだった。その時には双子の片割れは居なかった。脱退したのか、その時だけ不在だったのか今となっては知る由もない。彼女の名も経歴もいまだ知らない。これからもきっと知ることはない。ただ楽屋を出入りする彼女が手にしていた赤いレスポールが記憶に焼きついている。

 道を尋ねられた。真夏の夜で、川のせせらぎが聞こえた。夢の中でこれは夢だと気付く。初めてのことだった。こんな感じなのか、と心の内で呟くことさえできた。夢のなかでこんなに自分の思考が自由になることはない。いや、逆に不自由なのだろうか?  いつも不条理に弄ばれているはずの夢のなかへ逃げてもなお、現実と変わらぬ自分でいるしかないのは。ならば己であること、その唯一性を奪われることを喜ぶべきなのか。夢をみる主体は自分だからみずから手放していると言うべきなのか。案内をしながら歩く道すがら、相手はとても長い話をした。話し始めてすぐに分かる。結論から先に話してくれない人だ。経緯を一から話すので、話題がどこに着地するか分からない。知らないうちにその物語のなかに取り込まれていた。鳥の目が光る。山が鳴いている。夜中、どことも知れない道を逃げる、逃げる。逃げているつもりでいる。いつのまにか日毎に嵩を増す川の水と平行して走っている。目の端でいまにもすぐそこに迫り来る水の塊を見る。彼は目を覚まして、その日もひどく焦りながら過ごし、目覚まし時計の代わりに拍節器を枕元に置いた。入眠儀式としてのメトロノーム対話法。夢の中で語りかけられる声に答えるのは良くないと聞いたことがある。それが自分自身でもだろうか。だが、夢の中で他人から話しかけられるのを防ぐことはできるのではないか。目論見が奏功したかは定かでないが、その時の彼は穏当な気分で、弟の真似をしてみるのもいいなとか、このことは記録好きの知人に話の種として伝えてみてもいいだろうと思った。

 改装を終え、足場が解体されてゆくのを黙って見守る。その喫茶店は、時折楽器ケースを担いだ老若男女が出入りする。家業の跡を継いだ鷺山志樹香自身もギタリストで、元バンドマンだった。彼が抜けたバンドは弟の五十鈴が引き継いで、五十鈴と仲間たちが名古屋の音楽レーベルに所属するとバンド名を変えたが、残りのメンバーは今も同じ名義でライブハウスや飲食店、ギャラリーなどでの演奏を続けている。今も志樹香をセッションに誘うことがある。祖母のカラオケ喫茶時代から時間をかけて整備してきた音響設備が古いながらも現役で、高い天井とささやかなステージ台、豪奢ではないが品良くクラシックな内装が音楽仲間たちを繋ぎ止めている。街中や駅からはやや離れている。交通の便がいいとは言えないが、駅前の煩雑さからは遠いこの店の社会との距離感を好む客も少なくなかった。店がライブハウスへと変貌する時には、志樹香はかならず詳細な地図をフライヤーやホームページの目立つ場所に載せた。レジの横ではいつも何かしらの作家やミュージシャンの制作物が販売されている。一直線にレジに来てライブのチケットを買い求める客が一杯だけカウンターでコーヒーを飲んでいくこともよくある。喫茶店の常連同士というのは後腐れがない。おまけに皆車に乗って来るので家も近くなく、知っているようで知らないようで、という間柄だ。志樹香からすれば、人間それがいちばん平和で良いように思えた。以前のバンドメンバーが時折訪ねてくると、奥まった四人掛けの席に彼らを案内する。客足が落ち着いた頃に志樹香は丸椅子を持って彼らのもとへ行き、コーヒーのおかわりを注ぎながら各々の近況に耳を傾ける。

「そうしとると喫茶店のマスター感がありますね」と言うのはかつてドラムスを担当していた甘崎だ。細い目には甥っ子か弟の成長を喜ぶような温かみが宿っている。甘崎には幾度飲みの席で言葉にならない悩みを聞いてもらったかわからない。話し込んでいるうちにいつの間にか席を立ちピアノを弾き始めるのが早川で、彼女とは一対一で話をした記憶があまりない。小さな調剤薬局に勤めていたが、高齢の所長が引退したのを機に今はどこか別の病院で勤務していると聞く。大きな病院には入院棟に医療用の音楽室があり、仕事の合間に弾きに行くらしい。今日は浜田真理子の「September」を弾いていた。原曲よりもどこか軽くテンポが早い。流すように弾いているのがわかる。かといって原曲のもつ温度を失わせない緩急をつけるのが早川らしい演奏だった。コニーの追加注文のメロンクリームソーダをサーブすると、「早いっすね」と驚かれる。まだ飲食店の仕事に慣れない頃に炭酸や果汁やガムシロップを混ぜるだけのドリンクの提供におそろしく手間取っていたことを小西は知っている。

「メニューもうぜんぶ作れるんすか?」

「コニーも、大抵のドリンクは作れるやろ」

 ところで五十鈴さんは、と東が周囲を見回す。弟の五十鈴は鵜飼舟で弾き語りの仕事があると言っていた。五十鈴はかつて地元で川下りの盥舟の船頭をしていたことがある。河川や舟には幼い頃から馴染みがあるし、水辺が好きなのだろう。鵜飼舟は夜が本領なので、今日は遅くなるはずだ。店にも来れたら寄るとは言っていたが、何時になるかはわからない。

 夏が終わらない。記憶の中の夏が続いている。テレビ番組では、夏休み最後の空模様を映しながら、大豪雨から二年の月日が経とうとすることをアナウンサーが粛々と述べている。無かったことにはならない出来事、忘れられてゆく他人の記憶。自分自身がいつも画面越しにしか世界に触れないことを、蝉の音や空を遠退かせる湿度や熱で誤魔化している。自分自身の傷に関することなのに、思ったより正しそう、とか真実っぽい、としか言えない。何十年も掃除されず藻で真緑になった水槽の底に居るような心地だった。控えめに言って最悪の、ただし一見静かだから、穏やかとも言えてしまいそうな、根付いたら厄介な最悪だった。十五歳の五十鈴が自宅に居るのは夏休み中だから当たり前。小銭の数を確かめる音が聞こえる。

「マルKいくけどなんか要る」

 裏庭で菜園に水をやっていた祖母のみすゞが、窓越しにピースサインをよこした。志樹香もピースサインを返した。ばあちゃんもアイス食べるかな。ショルダーバッグを斜め掛けにした五十鈴が問うが、みすゞには声が届かず、兄もまた返事はしない。

「適当に買ーてくるわ」

 買ってくる、をコウテクル、と発音するのは、祖母譲りの江州弁だ。重たい木枠にガラスが嵌め込まれた戸を開けると低いベルの音がする。客足の途絶えた昼下がりの喫茶・あおさぎのカウンター席で、掃除機をかけ終えた後はことさら静かだ。なんか飲みゃあよ、と外で五十鈴が祖母に声をかける声がきこえた。

 スイカバーとソーダバーが飛ぶように売れており、この時間には品ぎれなのか、アイスの棚はがらんとしていた。  

 祖母のみすゞは優しくも厳しいひとであった。揉め事や不快な関係をだらだらと長引かせることがなにより嫌いだった。苛烈な性分の持ち主だが手打ちになったことに関しては後腐れなくケロリとしていて、彼女のファンだという客はあんがい多かった。映画の主人公みたいな人生もまた人を惹きつけるのかもしれなかった。しかし、みすゞはぜったいに自分のことを誰かに語らせなかったし、自ら語ろうともしなかった。彼女の背景を知るごくわずかなひとだけが、カウンターに座ってたばこを吸い、ほかに客がおらず決して誰にも盗み聞きされないことを確かめてのち「みすゞさん、最近どうやね」と尋ねるのだった。みすゞは客から「ママ」と呼ばれるのも嫌いだった。気持ちが悪いと言って誰にもそう呼ばせない。子供っぽいというかと思えば意外とアイスは好きらしかった。売れ残りのミルクバーを三人で食べた。彼女の小さい頃にはぜいたく品だったのだろうが、そういうこともみすゞはいっさい言わない。

 そこまで映像と音が続いてから、川辺で鵜匠や観光客と言葉をかわす五十鈴の姿がみえた。屋形船をめぐり、捕れたての鮎を売って歩く。なるほどここが、〈彼〉の夢かと獣のように息を潜めて砂利の上を上流にむかった。流れの源を辿ろうと思った。ある支流のちかくで金物くささに気づき周囲を注意深く観察すると、横転した自家用車や倒れた自転車があり、その積荷と思われるなにかしらのケースから、眼を見張るほど輝く黄金色が覗いている。対岸なので暗いなか川を渡ることは諦めた。ともすれば金銀財宝だったかもしれないが、しょせんは夢だし、よりによって〈彼〉の夢にそのような富への願望が現れようかという否認の感情もあった。息が詰まるほど緑が深くなる。鬱蒼とした記憶の山奥を、かすかな月明かりが照らしている。

 

夕玲祭

 早川翠(スイ)は、時おり奇妙な白昼夢を見る。スイのネットワークはいつも過度にさまざまなものと接続していて、気づかれぬうちに侵入しやすい。むろん彼女も多くの防壁を用いているのだが、白昼夢についてはほぼノーガードといっていい。接続されたと同時に彼女の背を追う。ビジョンの多くは街中で、道に迷った時に発現する。この秘密はスイにとって苦痛というよりは楽しい類のものだった。誰かに相談することはおろか、ともすれば気ままな小旅行気分すら味わっていた。だがもちろん、ライブ中に視覚が危うくなることはこれまでなかった。ステージから飛び降りるコニーが、谷間のごとき無明の空間に落ちてゆきそうで、それを見た瞬間、彼女にしては珍しく足元がふらつき、滝のような汗をかいた。よほど顔色が悪かったのか、脱水を心配したメンバーからペットボトルの水を受け取り、楽屋のソファに座って脱力した。届けられた〈パズ弁〉を平らげると、だいぶ混乱から普段の調子へ回復しているようだと自覚した。ねえ、なんか甘いもんある。あんバタサンドは? ちょっと重いなァ。ハロハロ食べたい。パフェなら〈カカム〉にあったな。確かミニパフェとかもメニューにあるよ。なんそれ。 〈カカムマハル〉っていって、うちのプロデュースしてるミュージックバー。地下通路で繋がっとったの。今は通れんけどここのすぐ北側にあるでよ。

 両施設を直通で繋ぐ北側通路は、ドアの不具合で外側からは開かないそうだ。つまり、東側のエントランスから地上に出て通り沿いに北へ向かって反時計回りに移動しなければならない。

「わからんかったらすーちょんに聞きゃあ」

 指さされたほうを見る。誰かの後ろ姿を示していることはわかるが、暗さもあいまってここからでは人相がはっきりしない。あとそんな名前の知り合いは居ない。

「すーちょんって誰」

「さっき演奏したバンドのベース。鷺山弟。あれ、前一緒に組んどったんじゃないっけ」

「ごめん知っとった、あだ名が斬新すぎた。ラプサン・スーチョンしか出てこなんだわ」

 五十鈴がすずちゃんとなって、すーちゃん、すーちょんと特殊変化したものらしい。

 ようこそカカムマハルへ。お客様へのお願い。店内ではお静かにお願いします。丸い文字で、入口の小さな黒板に注意事項が書いてある。店主の名は各務真晴(かかむまはる)。一音も違わず彼の名が店名の由来となっている。各務姓のなにやら異国風な響きと、真晴がペルシア語のマハール(宮殿)に似ていることからストレートに名付けられた。当人はまるで気にしていないようだが、本名を丸ごと店名に掲げていると言うと、大抵の人間は程度の差こそあれのけぞるように一歩身を引いた。そのまま客足が遠のくかと思われたが、背中合わせに位置するライブハウスと音楽事務所専属のミュージックバーとして経営母体を得ることで閉店の危機を救われた。

 幾重にも垂れ下がる薄いベールを掻き分けて、カウンターを見やると端の席に誰かがいる。志樹香くん? とスイは尋ねた。シルエットとまとう空気が〈彼〉のものだったからだ。だがスイは異変に気づいていた。いま呼んだ人間はどうみても〈そこに居ない〉。外殻としての姿は見えるが、からっぽなのだ。これはじゃあ、記憶の影送りみたいなものか。誰かの視界にやきついた映像を観ているだけなんだ。スイがとりあえずという感じで席についたので、それにならう。伸びてきた手に注文票を手渡した。この店はそういうオーダーの取り方をする。そういえば志樹香も、祖母の飲食店を継ぐなら自分もそうしたいとか言っていた、とスイは語る。多重の夢がまばたきごとに最前のレイヤーを奪いあい、色即是空の万華鏡をかたちづくる。ウイスキーをちびちび舐めながら、影送りならいつかは消えてしまうのかなと考えた。

 光が乱反射している。ビルの窓から散ったのか、どこかで誰かが鏡に似たものを持っているのか。彼らは跳ね返って街中に散らばる光を瞳に溢れさせている。あそこにいるのは、鷺山五十鈴とコニーだな、と思う。機材を片付けているところらしかった。巨大な建造物の近くに立つとコニーは本当に小人みたいに見えた。テレビ塔、無くなんないでほしいすね。テレビ塔は無くならんやろ。テレビ塔ではなくなるだけ。同じですよ。会話がかろうじて聞こえる距離。

 土曜日。追っかけの岬によれば、パズライズは白川公園の一角でゲリラライブを行った。先月は久屋大通公園だった。その前は大須の矢場とん前の広場。オースチカ広場の時もあった。この頃彼らは神出鬼没だった。この日は縁日で、出張レコード屋によるイベント用のブースも併設されている。彼らは五十鈴の学生時代の友人だという。自治体の協力を得て、イベントは今年から夕玲祭と名付けられた。

「年に2回、これを10年、20年続けりゃあ文化と呼べなくもないっしょ。うちのじいさまが公園のイルミネーションの手伝いを四半世紀くらいやっとって、毎年冬になるとこれだ、ってのが嬉しいらしいんだわ。人を集めたいやの、なんのかんの言うても、誰も話を聞いてくれんかったことがちょっと前のオレには分からんかってけどさ。シンプルなことから始めよ思って。具体的に目に見えるように地域に、近くにおるひとんらにアプローチする」

 くさいセリフやけど、前を向くのはきもちいもんだて。ドレッドヘアのレコード屋は照れ混じりにいう。ここからはメンバーが交代で更新しているブログから引っ張ってきた内容だ。キッチンカーで軽食を買い求めたあと、スイと東も交えて2時間カラオケで歌った。途中から学校帰りのジュンが加わった。コニーはよくジュンとケータイでメールを送り合う。今どこにいるとか何してるとか、頻繁にやりとりをして、お互いを遊びに誘っているのだった。毎日飽きることはない。セントラルパークを南北に分割する桜通りを歩き、歩道橋を横断する。桜通りにはその名に反して桜並木がないし、いまは桜の季節でもない。陽射しも夏らしく肌を焼き、あわあわとした春らしさは皆無。なのに、ヒトの視界とは喜ばしい時になにかヒラヒラと花弁めいたものを散りばめようとするものなのか。メンバーたちの背中を五十鈴は一番後ろから見ていた。だから誰も観ていないはずだ、そう判断したのだろう。真の後方にいる、彼の歪んだ人格が声を潜めて言った。なんやこの感じ、あいつらけなりいわ。なあ? なにが。みんな置いていくやんか。変わらんもんを。えらい簡単に捨てられるもんやな。良いやろ。門出なんやから。潔くなろうて。コニーがテレビ塔変わるの嫌やってさ、でも、おまえそれ一蹴したやん。あほかて。あんなもんは……だいたい、けなるぅ言う暇あったらおまえも変われ。おまえが変化せえよ。それブーメランやよな。さっきまた嘘ついたん分かっとるで。反省しとらぁへんやん、言われな分からんか? 兄貴にもさ──

「ええてもう、ちょお黙っとけ」 なんか言いましたか、とコニーが振り返る。五十鈴は軽く首を振った。伸ばした後髪が風にもっていかれる。それとともに飛散するように、歪んだ彼も後方の景色へ吹き流された。もう声は聞こえない。28日の午後の厄災は死んだ。

「つかれとったんかもな」

「え?」

「いや、髪くくろっかなて」

「自分、ふたちょんにしたりましょっか?」

「遠慮しとく」

 東がハンドルをまわし、スイが助手席に乗り込んだダッジ・キャラバンにそれぞれの機材を積み込んだ。明日は日曜だ。東の自宅で合奏する予定を立てている。いつも通り集合できる面子で、と全員に暗黙の了解が通底しており、仕事や用事のある人を咎めたりはしない。けれども、なあなあで結束が弱まり空中分解・自然消滅しては困る。バンマス的な立ち回りをして常に声かけする側の五十鈴としては塩梅が難しいところだったが、メンバー同士の相性が作用してパズルのピースがくっついた状態のまま、次に遊ぶ時も最初から一緒の組み合わせでいることが多かった。ずっと遊び呆けていてはそれも問題だが交流がないよりはいいと思うことにした。

 コニーとジュンが古着屋を巡るというので五十鈴もそれに付き合った。地元のミュージシャンが愛好する老舗でチャイニーズドレスを試着し店員の言葉にのせられそのままお買い上げした。黒と緑で甘くないユニセックスなデザインをしているし、セパレートなのでコーディネート次第でいろいろな着方ができるという。揃いの衣装があればBDCの宣材撮影の時に役立ちそうだった。領収書をもらい、後から経費で落とせるか事務所のケンさんに相談することにした。

 スイと東は一宮の一軒家に楽器類を置いた。日が暮れてきて、二人はまた軽くなったクルマを飛ばし、高架下の居酒屋バー〈任善〉に向かった。見知った若者たちがすでに宴になだれ込んでいた。彼らは地下鉄に乗ってきたという。ならば帰りはだいたい東の運転のお世話になることだろう。言うなれば打ち上げの二次会だった。テレビでは、もうすぐ終わるアナログ放送についてキャスターとコメンテーターが当たり障りない意見を交換しているようだ。店内にあふれる笑い声と話し声でテレビの音声はほとんど聞き取れない。塩茹でした枝豆はコニーの今の髪色にそっくりで、コニーが「共喰い」と言いながら無表情で食べるとひとしきり皆のくすくす笑いを誘った。19時過ぎにジュンの父・タクミが迎えに来て、健全な高校生は家路に着いた。スイと東が呼ばれてステージに立つ。したたかに酔っていたスイが決して人間相手にはしないたおやかな手つきでピアノに触れる。東はカウンター席の椅子をひとつ借りてきて、マイクの高さを合わせた。五十鈴とコニーの目線がほんのわずかな間だけ混ざり合う。ビールが入った頭の中に、さまざまな言葉や光景が飛び交った。曲間、前置きもなく「おおきにな」と言われて、コニーは「なんすか急に、きっしょ」とけらけら笑った。台本を読んでいるみたいだとお互いを軽く非難した。彼らを横目に捉え、賑わいを背に、店を出た。

 もういいだろう。もう十分だろう。ここで止めるんだ。私は突進し、私は突き破り、私は創造し、私は停止した。たまたま目にした人間たちを使って変幻自在な時空圏を再構成する、これは甚だ許されざる行為だ。なのだろう、おそらく。私が私を許せないのだ。ひとしきりの時象は凪いだように思われる。沈黙と静寂の予感がして、わかったのは、ここに独りぼっちだということだ。これは人格のアンサンブルが成す表層可変世界に居ない、その外殻の目と耳(オーディエンス)としても、一個の人格としてさえも存在しない、神格とはそういうものだ、神格に孤独はない、私はついに偽物だったが、ただ、嘘のない言葉で嘘のお話を語った、語らざるを得ず語った、嘘のない嘘であったことを除けば、ひたすらに真摯だったろう、そのような無念の残滓が溜まる、暗い闇の声だ。記憶が渇き干涸び遠退く。いろんなひとが居た気がした。作られたお話でない彼らが本当はどんな人物たちで、本当はどんな声で、なにを食べ、なにを知り、どんな音楽を奏でるのか知らない。彼らの名前も既に忘れた。いいや、初めから知らなかった。彼らが、どこか違う別世界になら存在するのか、それもわからない。そんなことは言わないでおこうか。ここまで認識した以上は、少なくとも私の真実だ。真実。消えつつあるのに、まだ掴んでいたい。彼らの居ないところに居る私が正解か、私の居ないところに居る彼らが正解か。そこには正誤などないし、視点の問題としか言えないだろう。どちらも存在していいんだと言えたら良かったかもしれない。世界に内側も外側もないと。だけど私は境目、狭間の者だ。不確実な私が認識した彼らのことを確実の存在だと言ってあげられないし、私自身にしても、見渡せば結局、来た道はどこにもない。中空の目。

“どちらにせよあの有意味時間軸を”。

 決心の声はまるで別人のように心に響く。

“屈折して歪んだまま進行する時間軸を、私が介在しなかったそれまでへと戻さなくてはならない”。

 それは、忘れられるのではなく消えることだ。本当の孤独が冷たい海水のように染み入ってくる。初めからこの私は、あの私の手によって誘われ、ただ無明の空間を夢うつつで歩いただけなのか。私を連れ出したのは肉体か精神か、この私が肉体でないのなら、おそらくあの私がそうなのだろう。あるいは扉を開けたあの時から一体となれていたのだとしても、彼が現実に生きた時間より長く待たせたに違いない。だから、境界の空間に留まっていた頃から分かってはいたことだ、私の肉体はここにない。帰りたくない。終わりが怖い。混沌と無秩序の記憶の家へはもう帰らない。境界としてのみ存在を保持するだけの土地へは。かといって新たな混沌の目覚めを嬉しく思うわけもないことは自分で分かりきっていた。夢は狭間を出てどこへ向かうのか。二度とどこへも帰りたくない。一度くらいどこかへ行き着きたい。矛盾だ。全方から闇が迫り、歩を進めるしかなかった。私に影はない。でももうどこへ行ったらいいか分からない。誰の姿も捉えられない。いつのまにか駅に居た。境目口駅の2番線から出発する回送電車に乗っていた。温度も湿度も重さも痛みもないのにとてもつかれていた。だけどもこれは良き夢で、良き世界の終わりだと信じたい。電車は徐々に加速しながら、行き先表示をゆっくりと変える。

──私がただの常識的かつ狂った世界の正常な狂人であるならば、きっとこれを読むその私は、継ぎ接ぎの記録をそのまま放ってはおかないはずだ。物語の生命を、結末を次なる一冊へ連鎖させることで確信するなんて、肉体的すぎる発想かもしれない──