日記2024.1.25

しばらく更新しないうちに文フリ東京も文フリ京都も終わり、早くも二月の足跡が聞こえてきましたね。積雪と警報の影響で休業になったためブログを書く余裕ができました。

しかしブログ、いかんせんこのブログ、端末を立ち上げてWordPressにログインして編集ページにアクセスして、というのが面倒くさすぎるし、サイトのデザインもこの通り原始的な風景だし、コストに見合う使い方ができているのかどうか。そう大したことも書かないし、今まで通りTumblrか、最近よく利用しているBlueskyで事足りる気はするのですが、まあ面倒に思いながらキーボードとディスプレイに向かうのも嫌いじゃないな……と。時間さえあれば。でも繰り返しになるがWordPressである必要性はまったくない。

腰を据えて文章に向き合えるといえばそう、なまじ気軽に投稿ができると本当にどうでもいいことばかり、気分の変化に任せて書いてしまう。もうすこし理性的にインターネットと付き合いたい。切り離すことはどうやら無理っぽい。

ここで記しておくべきこととして、文フリ東京と京都にてお会いした方々、ありがとうございました。SNSでもお礼を申し上げ、また東京は既に数ヶ月前の出来事ゆえにここではさらっと流してしまいますが、尊敬するフォロワーの実在を感じ非常に勇気づけられました。

新年の挨拶もしたんだかしてないんだかで挨拶の渋滞が起きていますね。特別な言葉はいらないと思いますが、どこに住んでいようと日常の安全を確信でき、ふつうの暮らしができる日々に戻ること・続くことを何より願っています。

制作物の更新については、カクヨムで連載した小説や、京都に合わせてコピー本にした短編など、ここの小説置き場で読めるようにしておきます。よろしければ。

ざっと見るとメタフィクションに偏っているので、ちゃんと物語しているお話を、メタものを書く時とはまた別の勇気や決心を持って書かなければなと思います。メタ表現を、自分のフィクションに対する向き合い方の緩衝材にしているというか、なんだかそれを続けると真摯じゃなくなりそうな、目的と外れた方向にむかいそうな気がする。道具に振り回されて使い道や目的を変え、自分の本来の意図や創意を見失いそう。今回制作した本達はまだギリ、ここで危惧するズルさのない、他人に読んでもらって恥ずかしくないものかなと思っています。ギリ、というのは、似た手法を多用している節はあるけれど、まだ書いていないものを書こうとする純度が高いからセーフ、という意味です。

今年は観念して健康診断に行きます。なるべく創作のイベントや舞台や映像作品などに触れて関わって刺激を受けたい。コーヒーを淹れるのもサボっているので手挽きしたい。

ちまちまとした手軽なセルフケアがマジに健康を支えていることが分かり(入浴剤を入れた湯船に浸かるとか、食べ物を好きな器に入れるとか、紙とインクで記録つけるとか、道端の花とか空もようの変化に気付くとか)それができる余裕をもてるかもてないかで無理がないかどうかを判断することにしました。その時はもうすでに無理に片足突っ込んでたりするのですが、否応なく続くことを続けるために、一日一日をやっていきましょう、ということで。